スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

ミレー  ロマンロラン

ロマンロランが書くミレーの伝記である。伝記と言ってもいいと思う。シェルブールで生まれた。

ミレーといえば、晩鐘、落穂拾いと、ある意味有名である。だがこの絵を素直に鑑賞できる人は、今や少ないと思う。今では、もっと刺激的な絵画があるし、自分の好みで選ぶ事もできる。

ミレーの絵が発表された頃は、フランスであるが、誰にも相手にされず、落選したり、反故にされたりを繰り返し、ミレーの生活は苦しく貧しく、誰とも組まず、まるで異国から来た外国人のような暮らしぶりだったという。彼の孤独癖はかなり強く、子供の頃から憂鬱な顔つきで、彼を見た村の牧師も心配したという。

ただ同じ風景画を志すコローや ルソーなどは常に彼の側に立って世間の強い風を防いでもくれた。

パリの画壇では嫌われ者のミレーは、欺瞞や虚栄に満ちたパリのことを信じておらず、別天地を探して郊外のバルビゾンへと移った。そこでは、芸術家村のようなものができていた。その後バルビゾンもパリの都会風の波が押し寄せてきて、純粋な自然がなくなってきた。更に田舎へと逃げるミレーであった。  ヴェルプスヴェーデという、ドイツの独特な農村へと入ったミレー。忠実なる友「サンシィエ」は、「ミレー の生涯」という伝記を著した。

 

ミレーはかなり大きな豊かな農家の長男であった。絵の才能を見抜いた父親は、彼を画家の元に送り絵を学ばせた。その後も財産を潰してでもミレーをパリの絵画学校へ入学させたのだった。彼はパリの気風を嫌い、もっぱらルーブル美術館でデッサンして過ごしていたらしい。後々に大学の教授にとのオファーもパリ嫌いの彼はもちろん断った。彼の魂が純粋である為にだろう。後々の世代の為であろうが、真実を伝える義務のようなものを持ち続けた彼であった。

さて若き農家の跡取りその身分は重く決められたことであったはずだ!それを親は絵描きという最もあやふやな職業へと送り込んだのだった。

子供の頃から見慣れた農家の風景は、ミレー に染み込んでいて、その純粋な農村生活のコアは犯されることはなかった。誰であれ、同じような境遇の人を見れば友だと感じるものである。まあ、今は詐欺師も多いが。

農夫の苦境を描いたとされる彼の絵は、政治を批判する社会主義だと嫌われ、サロンも、政治からも遠ざけられ、生活はますます苦しくなった。ミレーは本来政治にはほぼ無関心であり、 彼なりの視点から貧富の差にも頓着する者ではなかった。

農夫の苦しい顔を描いたような「くわを持つ男」は、余りの苦行を見て都会人は後退りをしたのだった。

パリ万博の頃には、彼の農村の絵は大きく評価されるようになり、箕を振るこの男の姿勢は確かに箕を振るう時の姿勢であった。箕を振るう男というものだった。アメリカからの評価が絶大になった。

彼は本当は農村でなくとも普通の絵も上手く描ける画家であったと思われるが、農村、農夫らにこだわりを持ちそこに人間の幸福苦しみ、真実を追い求めたのだ。「死と木こり」でも、辛い人生に疲れ果て、死神に願いを託した一人の木こりのことが描かれている。「木を継ぐ男」もなぜか静かなる傑作である。おなじく風景画の友人ルソーは、この絵を高く評価し、涙を流したと言われる。

ルソーの助けで、ミレー の絵はちょこちょこ愛好家らに売れていくようになる。

最後のミレーの絶筆では、幼児期の体験として、これは、最も大切なものであろうと思われる。

彼は生涯を通して律儀であろうとしたのではないだろうか。彼の人生に影響を受けたゴッホが、彼を慕い尊敬をしていたのは理解できる。

 

余談となるが、ミレー はマリア像も描いている。それも農村のマリアである。まだ10代の自分の身に起こったことが信じられずにおっかなびっくり目を見開く健康そうな少女。

天使の告知も受けたのだろうか。ただ平凡な一人の少女にもそういう運命はやってくるのである。

マリアはその為に隣人からも妬まれ、虐められるハメになったのではとも考えられる。以後の彼女の運命は、聖書に書かれたとおりである。これについては、いちおう物語、おとぎ話としてとらえ信じておけば良いのではないだろうか。以後のマリアの運命はあまりにも奇異であり、極端な幸福と極端な我が子の喪失と続き、ただならぬ人生を受けることになる。それ故に、苦しむ女性の守護神の様になったのも頷けるじゃないか。