タルコフスキー監督のノスタルジーは、1983年、それ以後この作品が、事実上の遺作となった。
彼は54歳で亡くなっている。サクリファイスの主人公も50歳の誕生日を祝う話ではじまる。
監督は、主人公アレキサンダーに自分を重ねている。
かなり深刻な問題であり、監督自身をさらけ出した祈りの様なつくりになっている。
男には、妻、娘、幼い息子の3人と住む家があった。
誕生祝いに集まったのは、ドクター、郵便局員で、この郵便配達人のオットーという男が、曲者であった。神のことなどについて知っていた。
ダヴィンチの3人の博士の来訪の絵を、怖い絵だと言うのだった。
そして突然に終末戦争が来て、核兵器ミサイルが4本も飛んできて世界が終わることを知るのであった。
家族は怯えて、パニックになる。妻は、叫び出して、たおれてしまう。
皆を救うためにアレクサンダーは、どうすれば良いかかんがえるのであった。
神に祈るのであった。
そんな彼のところに、郵便局のオットーが来て耳打ちする。
「あの、召使いの女マリアと、寝るのです。そうしないと。世界は救われない。」
「いいですか、あの女と寝なさい。あの女は魔女です」
いいな、男にとってこんな嬉しい予言があるだろうか?まったく、自己有利の法則。
ま、それで、マリアの家に行き一緒に寝た。必死の覚悟であったが、アレキサンダーは、女に抱きついて、女々しくも泣いてしまった。
目が覚めたら、家のソファの上だった。
核戦争は、本当に終わっていた。皆が無事であった。
だがアレキサンダーにはまだやらねばならぬことが残っていた。
サクリファイスだ。神への捧げものだ。
彼は家に火を放つ。
家族たちの通達で、救急車が来て、精神病院へ送られてしまった。
スッポコは、子供と自分を焼いて生贄にする話だとおもっていたのだが、生贄は、自分の家であった。
なんだこりゃー。
彼は世界に嫌気がさしていた。どうにもならない汚れた世界。
ムイシュキン公爵やチャールズ3世を演じて名優と言われてきた自分にも、何か物足りなさがあった。
アレキサンダーは、よく独白した。例によって例のごとく、この世の矛盾と不条理と、文明についての世迷言を繰り返す彼であった。彼はよく述べた。それは褒めてやる。しかし、なんか、甘ったるい香りのする文学調である。お金持ちが考えるタペストリーの模様、またはテーブル掛ですよ。
ただ、タルコフスキーは、多分だけど、金持ちの道楽じゃないの?
なんかそんな気がした。もっと切実に苦しんでいる人たちが多くいる中で、
タルコフスキーは緩すぎるよ。
彼には、幼い男の子のがいたのだ。この子は首の手術をして白い包帯を首に巻いていた。
だからしゃべれない。いつも、寝ているか、トコトコ歩いているかであった。
ただ、この子のことをアレキサンダーはかわいがった。なぜか召使いらもその子を愛していた。
子供は松の木をパパと育てていた。水をやると木が生きて、緑になる。
パパが、病院に行ってしまった後も、子供は、水を運んでは松の木にかけてやるのであった。
一部がキリスト教、一部が仏教、両方にまたがった思考の持ち主の主人公である。
ダヴィンチの絵、マリアのこと、一方、音楽に尺八が入り、仏教の求道者の様な様子もみられる。
最後は、黒い紋付の着物を着て走り回るアレキサンダー。
見る方も力がはいる。希望を託されたちいさな男の子ががかわいい。
監督は黒澤明監督とも交遊があり、多分日本の事など取り入れる事に通じる道があったこともある。
こま