スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

サロメの乳母の話  塩野七生   1980年 初版か。

小品がいくつか並ぶとても良い作品だった。歴史上の有名人を登場させてお話を書いた。といっても、乳母から見た「サロメ姫」、母親から見た「聖フランチェスコ」、召使いから見た「アレキサンダー大王」、妻からみた「オデゥッセウス」、「ダンテ」の妻、「キリスト」の弟などの偉人の家族、側近が伝える彼らの話ということになっている。神曲の「ダンテ」の妻や、イスカリオテの「ユダ」などもあった。

歴史的偉人の家族達はそれ故に嘆きや喜びなども並はずれて大きいものだった。故にドラマティックに仕上がっておる。史実も含めて書かれているので紛らわしい気もするし、ちょっと眉唾でもあるかなと、首をかしげるのはわかる。だが、当然わかりもしない遠い昔のことだ。ドラマとしてみると、目から鱗のような政治の裏側が見えてくるのが爽快である。

 

まあ、一番心を打たれたのはイタリアの廃墟となっていたアッシジの教会を立て直した聖フランチェスコの物語であった。

戦いから帰ってきてある日突然服を脱ぎ捨て神の元へ行ってしまった息子の行動を母親は驚異と嘆きと喜びとの複雑な気持ちで見守るのだった。癩病者を看病したりしてついには修道院をつくり、困った人々の手当を率先する教会となった。。そして時の法皇に強く認められたときの母の喜びなどが描かれている。

涙なしにはよめなかった。すべてを捨てて神に祈った彼の教理は、とても厳格なもので、イタリア中の聖職者が後退りしたのだった。癩病者や病人のために寺院を開放したフランチェスコアッシジは、多くの巡礼の人々が訪れる聖地となり、病人の治療のための薬草などが作られている。

 

キリストのことはご存知の通りであるが、幼い時から兄弟として育った身内からの告白はやはり相当重く感じる。

まず塩野が良くここまで再現できたという事に驚く。イエスをいくらか理解していたという感が浮き出てくるのがshame というかhesitationもうむ。この本の出版された1980年ごろ、日本はバブルの末期ごろであったが、まだどこか華やかさは残っていた。ただ中途半端な生活を送る中産階級に満ち溢れ、日本はこの辺りから骨抜きになっていったような気がする。そこに、塩見は、このような真実味のある本を出したよいうことは意味が深い。

 

マリアは、大群衆に囲まれた我が子に近寄ることも もはや出来ない有様であった。イエスが亡き後、数年もせずに消えいるようにマリアも息を引き取る。

親類のエリザベートの懐妊を知って、マリアも必死の思いで年上の彼女に会いに行く場面は、絵画でも有名だ。その絵の意味がよく分かってよかった。

 

サロメにしたって、初めからヨハネの首を欲しがっていた猟奇的姫では無かった。そこには政治的、心理的な何かがあるようだ。ヘロデ王にしても、ローマのお偉いさんが来ているのに田舎臭いおもてなししかできないのでは、ローマから馬鹿にされて、属国ユダヤの我が身があぶないと察し、世にも美しいサロメを引っ張り出したようだ。

裏庭の獄に繋がれたヨハネの元へ姫は度々偲んで行った。その結果がこれであろう。ヨハネという神に仕える男を誘惑しただろうことは容易に察しがつく…。 ヨハネは首を縦にふったのか横にふったのか。ヨハネは、かの町あの親戚のエリザベートが老境に入る頃にうまれた息子であった!本当なのか。

 

そのほか、オデゥッセウスは、アキレスなどと共にトロイに打って出て、トロイの木馬でローマに打ち勝った英雄である。ふーん、知らなかった。  彼のことは妻に言わせれば、20年も島々や世界を彷徨って妻の元に帰ってこなかった風来坊でもあったが、異常なお人好しの間抜け野郎だということだった。英雄の間抜け、あり得るかもだ。

 

遠征の途中で、美しい獅子のような若きアレキサンダー大王は、アレキサンドリアという美しい名前の都をエジプトの海岸沿いに作ったが、30代前半で、亡くなる。その後、彼の帝国は崩壊し、妻も子も敵の手により亡くなったという。王子としてアリストテレスなどの教師から教えを受けたが、どうも、彼は野生的戦士への憧れが強く、ホメロスイーリアスが愛読書であって、常にそれを枕の下において寝たとある。

無常というものをあまりに強く感じる話である。

大きな感銘を受けたこの本であった。

ただ、この本に出てくる主人公達は、イエスを除いて、いずれも裕福な出生であるということが何おか言わんということである。

彼らは、金も教養もある人々であったが、その裏返しとして、悲劇的な何物かに常に脅迫されてきたのではあるまいか…。

上記の白い彫像は、アレキサンダーの像で鼻が少し欠けていて真実味がありますね。