スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

中国   兵馬俑を発見した男

8000もの兵馬俑を見つけたのは、普通の農民だった。1974年のことだ。

毛沢東の政治が敷かれ、共同体で生活する人民たち、その中で、農民たちは何でもかんでも平等に分ける法律のもとに生きていた。

文化大革命の最中でもあった。過去の遺産は全て破壊しようとする権力に立ち向かった人々もいた。猿(えん)という考古学者がいて、数十年にわたって兵馬俑に携わった。

政府の睨みに対して危険を感じながらそれでも逮捕を覚悟でやって来たらしい。

 

その村では、農民が井戸を掘らされていてその時に見つかった兵馬俑は、とても大きくて、馬車や、馬などもたくさん出て来た。ただ破壊されることを避けたかった学者たちであった。

秦の始皇帝が、作ったと言う証拠も出て来て、毛沢東の敬愛する始皇帝の遺跡として守られることとなった。

アメリカの新聞記者も参加して、世界的な発見となった。

世界に知られるようになりアメリカ大統領などもおとずれた。

 

静かだった村も、世界の人々がやってくる大賑わいの村になり、商売も盛んになっていった。

これを初めに発見した農夫は、生活が一変してしまった。博物館に勤務したりもした。

だが、農村は様変わりしてしまい、争いも起こるようになってしまった。

それに嫌気がさした彼は、静かに身を引いて、小さな店を出して、のんびりと過ごすようになったのだ。

お客が来た時だけ、発見した様子を話して聞かせる。

そのときのツルハシが壁に飾ってあるのだった。

 

農民は概してずる賢くて吝嗇といわれるが、、この人は、人徳者のようにさえ見えるし、実際そういう人であろう。

ただ

いくら立派なことを言っても、農民を信じることはできない、と決めている。決めているのだ。

騙し合うのが平気な人達と、どうして接すれば良いのだろう。

 

自身も農民であったのだが、この発見者は、うんざりするほど、辛い目にあったはずである。

兵馬俑を発見さえしなかったら、と幾度思ったことだろうか。