スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

母の遺品を捨てられない

捨てられません。実母の遺品ですが色々あります。特に衣類とか靴とか靴と言っても和服用の突っかけとでもいうのかしら、です。

靴がなけりゃあ、彼女は歩くことも出来ないのではと心配してしまうからです。何年にもわたって使っていた履き物などは特に、何か感じて、落ち着きません。母の苦しみを感じていた私は要するに彼女の人生をおもんばかっています。

担の強く馬力も強かったので、そんな母でしたし、私などとても敵いません。ただ全てを仕切られていたようにも思いますね。

彼女の唯一自由にできる駒はこの私でした。大人しく世間知らずの良い子ちゃん。知らぬ間に母親を信じ込み(子供は誰でも母を信じているかもだが)牛耳られた私。母親だからというだけで、信じ込んではいけない。あれはただの人なのですから。イエスが言ったように、

個人と言うものは決して親に隷属しているものではないのではと、だから、イエスは、マリアという見ず知らずの無垢な少女に宿ったのだろう。そうでなければ、辻褄が合わないよな。親と子供は別人であった。でも、所謂豊かな国日本、なんでも揃う国、世界でも類を見ないほど発展しており、しかも戦争も他人事のように思える幸せな国。親に支配された子供たちのなんと多いことか。その一人だった私がいうのも変だが、何か大切なことを忘れてしまった子供たちは、憐れである。