スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

ヴォルプスヴェーデ   続き  風景画

ヤコブエスダール。この画家は、子供のように大人の世界の中で生きた人だというーそれはとても危険であって、極貧で破滅した者も多くいたそうだ。

この人の風景画は、無邪気で、喜ぶ犬のようにわんわん吠えて、野山を走り回るような絵であるー滝や川の流れが入った風景画を好んで描いている。一枚あれば、見栄えもするし、楽しいだろう.深刻さはないけれど。

 

次に、セガンティーニであるが、この人の絵はアルプスを描いており、見て印象に残る画風である。

アルプスの澄んだ空気、眩い青い空、その下に牛と牛飼いの姿が、余りににょっきりと現れている。この人は、山の上へ上へと上り詰め、山の上で死んだそうだ。  壮絶でもある。

 

ベックリン、そして、「テオドール-ルッソー」らの風景画は安定していて、観るものを誘い込むほど美しい。木立の一塊りの群がいつか風に一斉にそよぐではないかと思ってしまう。木立の葉の色の微妙な色彩が調和を強調しているふうにも見える。風景画の傑作を描いた天才画家の第一人者とでもいうべきか。

 

最も難解なのはアンリ ルソーであるーライオンや、ジャングル、眠る女、蛇使い、少女など、みんなどこかおかしげだが、あっけらかんとしているのだ。強烈な色彩や、強い線が断固としたものを感じさせる。彼は散々仲間から馬鹿にされていたが、ピカソなどは彼の才能に大きな物を見出しておったが、本当に、謎多き画家である。

 

 

自然というものと格闘するこの侘しく厳しい戦いはいつ終わるともしれぬ恐ろしいものっぽい。

富嶽百景や、他の画家の富士山など描いた作品を見てみると、どこか、ゾッとするのは自然というものは手懐けられないやっかいな代物出ることがあきらかになるだろう。

私自身は絵は描かないし、書けないのだが子供の頃、家族が持っているミレーの複製絵を突然説明された記憶がある。父は何故だかミレーを敬愛しておった。「晩鐘」 である。

父も、やはりあの侘しい人々であったのではないか。 そんなきがする。

ミレーの羊飼いも、逸品である。これは黒いマントを着た羊飼いが、多くの羊の中に一人描かれている。彼のマントは黒く、大地に吸い込まれそうに裾は土にめり込んだように見える。

晩鐘の父の説明は、しっくりこなくて、ただ絵の中に少しでも美しくて共鳴できる部分を探すのに必死であった。背の高いおっさんと、女が立ち尽くし祈っている。彼等の心を推しはかるべきかどうか迷いもどかしく煩悶させられる絵画である。

彼等は、広大な大地に立ち、住処は土手の下の長細い長屋のようなものだそうだ。重労働の為に、体型も変化してしまうー生きる為にギリギリの生活を担って生きているようにも見える。

土着の彼等はこの薄暗い家屋の中で、この重労働の続く仕事の合間には、結婚、出産、そういう中での子育て、労働、老化、そして一般的な死を迎えるのであるーその中で、時折ほんの密やかな幸せの時を紡いでいるのだろう。

彼の地に赴いた画家たちは、 バルビゾン派と呼ばれ、彼等は広い大地に感謝を捧げるようになると、リルケは言っている。そうなんですか。

 

 

 

 

f:id:dekochanya:20231008102557j:imageベックリン