スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

若き労働者の手紙   リルケより

労働者、ツナギを着て、何かの工場で働く若い青年の手紙が展開される。

若い、それだけで輝いているし、労働者ときては、オオ!となる。

今すでに若い人々自体が見当たらず、少なくなってきているのだろう。社会を支えているこの若々しい支柱達が、根幹が、一本一本消えてゆくそんな気がする。あとは薄汚れたジジイとババアのぐんだんだ。若い人はもっと自分を誇っても良いだろう。だれも笑わないよ。相手はジジイとババアだ。

 

 若者は ある詩人の朗読を聞き、心を揺すぶられ、そのままの勢いで教会にはい入りキリストのことに思いを馳せる。キリストはいつも自分達を見ているとか、救ってくれるとかということに疑問を持っているのだ。現代は、もう、キリスト教は必要ないのではありませんかと、若者らしい疑問を投げかけている。あらゆる場面で、しゃしゃり出てくるキリストは本当は、僕たちのこと何にも知らないのではないのか。何か役に立ってくれるのかー僕らのこの工場へ、ツナギを着て来てくれるとでも言うのかーそうすれば、この場がパッと明るくなって何かが変わり、皆が幸せに満たされるのかーよくわからない。それなのに尊敬、忠誠を強制されるのは何故なのか。

いつもいつも上から目線で我々を眺めているだけではないのか、云々。旧約聖書の方が重々しくて良くないか?コーランでも何でも人々はただ一人の人を指差しているのだが、キリスト教もずっとそうだった。

 

などと、当たり前誰でも疑問に思うことを素直に告白している若者である。しかも彼は日々、

働いているのだ。時間のないところに、彼は彼で考えている。