キリスト教の厳しい教義を信奉し、牧師として生きる一人の男の話である。
これはかなり不思議な感じの映画であった。
なぜなら一人でいる時、ふと自分はどういう人間で何のために生きているのか、などと、つい考えてしまうような戸惑いのひと時。そのようなかんじがしたのです。自分の潜在意識に触れようとでもするような静かな時間、そんな気がする映画であった。
神父は屈強な身体を持っていて、多分自分でも持て余すほどの精力がありそうな男である。どこかピエール瀧ににている。ところがこの男は、ドMで、いつも自分で自分に鞭を当てて血を流していた。
キリストが刑場に行くときに鞭打たれたように。
彼は人生について真摯に考えている。神についても、真剣に向き合う事を信仰の第一義としている。
あまりにも直接的で、息が詰まりそうである。指導する年上の牧師も、もう少し休んだらと、忠告するばかりであった。
ある日旅の途中で悪魔に出会い、悪魔は牧師の体を求めてきた。悪魔の誘惑を退けて、悪魔に勝った、と喜んだ。
その後、どういうわけか不思議な力を授かった。それは人の心が読めるというものだった。
ある一人の若い売春婦はまだ十代そこそこの感じで、どこかの公爵の女になっていた。他にも医者ともできていた。そして なぜか理由もハッキリしないまま公爵を銃でころしてしまう。
驚いて遠くに逃げる女、とても怯えて、罪の重圧に苦しむのだった。
その辺の感じが、あまり飾らずに、役者のアップとかもなしで、ただ淡々と現実の生活通りに映しだされる。大げささがない分、本当の事のように見えるのである。
これが、この監督の映画の力であろう。
この少女は、自殺してしまう。 この少女を救おうとするが、救えなかった。?
この牧師の噂を聞いたある一家が、死んだ息子を見て欲しい、いや、子供を生き返らせてほしいと頼んできた。
いやむちゃくちゃだろう。しかし彼は生き返らせた。
このようなことが重なって、彼は聖者だとみなされるようになり、かれはますます信仰を厚くしようと
自分に奇跡を行わせてくれた神に恩返しをしようと必死になっていく。
仲間の人々は彼のあまりの苦行に心配していた。命を落とすような苦行に。
彼は狂気の沙汰であった。自分がキリストのように生きることは狂気の沙汰であった。
彼はある日懺悔室で婦人の懺悔を聞きながら、息を引き取った。
先輩の牧師が静かに目を閉じてやるのだった。