セザンヌについて書かざるを得なくなったリルケ。リルケの場合は突然に目が開かれたと言っている。
パリの画壇では、多くの画家が、セザンヌのことを田舎者と呼んで、すっかり馬鹿にしていた。
サロンに毎年出品するが、何故か落選するばかりで、サロンの評判もどんどん落ちていった。
彼は、彼らに媚びたような絵を描くことができなかった。外にデッサンに出るときは、ゴッホのように度々石を投げられいじめに遭った。
彼はボヘミアン出の親がいたが、父は利口者で、バンクを買取り、頭取になった。そのおかげで、セザンヌは絵画に邁進することができたのだ。ゾラ、ルノアール、モネ、マティス、マネ(草上の昼食)などと知り合っていた。
セザンヌが、フランスの百フラン紙幣の顔になるまでには長いことかかった。誰も彼を認めていなかったから。ただ、ゴッホや、ゴーギャン、などは早々と彼の異常な才能に気づき、なんとかセザンヌの秘儀を捉えようと必死になっていた。
リルケは、何度も、セザンヌの絵の元へ通い詰め絵の本質を見抜こうとしていたようだ。それは突然に来たのであった。
だが、この私には、なんのことやらサッパリ納得ができないのだった。必死に頑張ったのはわかるが、
それ以外はわからぬ。子供の頃、セザンヌの静物画を見た記憶がある。遠くに青く光る壺とかリンゴとかだ。遠くにあることには間違いなかった。子供は作意がなく、そのまま受け取るのだ。遠い絵、りんごも壺も瓶も手が届かないほど遠いー何故こんなに遠くに見えるのかというもどかしさをおもいだす。りんごは赤くて丸くて子供が馴染みやすい果物だった。遠いというのは正解だった!リルケもそのように感じたらしいので。
彼は、事物を犬のようにみていたのだと、知り合いの画家から言われて、驚いたリルケであった。
静物というぐらいだから、これらはじっと動かないんだろう、ということは分かったが。
彼の芸術は後年どんどん評価が上がり、ピカソ,ブラックなどキュビズムの旗手となった。
でも、確かに彼の絵には、土の匂い、いなかの納屋、と言ったイメージがあるのも確かだ。
それは、懐かしさが角砂糖につまっているように、甘いのだ。夢の様にあまいのだった!
田舎者と言われた彼、石ツブテがお馴染みになった散歩。
世の中にはセザンヌを知らない人が多くいる。驚きであるが、知識など何になろうか。ピカソはよく知られているが、知らぬ人もたまにいる。なぜかくすくす笑いたくなる。
少しづつ評価が上がるにつれて、さらにセザンヌをひきずり落とそうと周囲は考える。
そうだアイツには 名声や栄誉で有名人様と褒めちぎり、堕落させようではないか!だが、コレは彼には通じなかったのか、相変わらず子供らに囃されて石礫と共に歩いていくのみであったのだ。
先のものは後になり、後のものは先になるー奇しくもイエスがいっている。打ちすてられ顧みられなかったモノの中から結局は大きく育つものがあるからだ。結局、セザンヌは幸せだったのだ! 心の中では夢の中の砂糖の様に甘かったのである。とリルケはいっている。
母の葬儀にも出なかったセザンヌ。それほど、絵画に向き合う事が抜き差しならぬ大切な事となり、人生の中心に据えていたのであった。何という良心の持ち主!頑固で疑い深く愛を決して訴えない人であったと、リルケは分析した。気がつくと、彼の絵に深く感動していたのだと。イヤだねー。わかんないことばっかじゃん。
ミケルアンジェロ(ミケランジェロ)についてもリルケは書いている。(石に耳を傾ける人)という章であるが、これは「神様の話」というかなり有名な作品の中の一つである。