スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

色々考えたが

色々考えたが、肩肘を張ってでも、自分の立場というか態度は変えたくない。コツコツと積み上げて来た生きる態度、私の習性。臆病な習性だが自分としては嫌いではないということで辻褄を合わせているー

私が気に病んでいるのは、故もなく、なぜこんな些細なことを日常的に楽しむトンチンカンな人々に私が気持ちを合わせてへつらわなければならないのかということだ。というよりなぜ一介の人間が醜く醜悪なことをしてしまうのか。つまり他人に害悪を与えるのを趣味としているとしかかんがえられない。ーこうして一連の流れを見ていると意識してやっていることでもなさそうだ。彼らはそれをただ習性として生きているのかもしれない。猫には猫の習性があり、犬に犬の習性がありように。だがこれではいかにも彼等を軽蔑しているかのように聞こえてしまうだろう。猫を猫故に軽蔑することはあり得ない。

ただ人間である故の善を尽くすということに思いが至らないのだ。心を何割か失った人々とでも言おうか。彼等はしかし、見かけ上は、最も美しく尊敬に値する人のように見えるのがまずい。後で苦い水を飲まされるのはこちら側である。

妬みに心を奪われて激しい炎が燃えさかる。彼らは悲しく哀れな人々でもある。妬みというのは本当に恐ろしいものだとは仏教の本などにも書かれていたのを思い出す。それを抑えるのはそれ相当のことだ。罪を犯しても彼等はそれなりの言い訳で自分を丸め込むのかもしれないが、そのことについては今は言及すまい。

ただ誰にしたって、人間困り抜くと、何を仕出かすかそのときになってみないとわからないものだ。

彼等の心持ちになってみよう。彼等には悲しい思い出があり特異な辛い苦難を受けそれでも耐え忍んで生きてきたという事は理解できる。他人を全く信用していないのは彼らの方であろう。彼等は、こちらの善意を理解することはない、あるいは出来ないのかもしれない。

哀れむべき人間だ、といっているのではない。非常に興味深く、理解すべく、探求すべき人々がこの地上には沢山住んでいるということだ。

苦難というものは、次々と人々を襲ってきて、ときには震撼とさせ、しかも止まることがない。

肉体の衰弱に老衰、自分の力ではどうすることもできないほど打ちのめされた時、人はどうすれば良いのだろうか。

そこには自らの死が待っているのだろうか。

また家族の中にそう言った苦しみを持つ者がいた場合、どうしてあげたら良いのだろうか。

 

 

個人的な話だが、こういう時には、春夏にかけて地上をぞろぞろ這っていたアリのことを思い出す。

大小の砂利にもおじけることもなく、地上スレスレに動く謙虚な彼等には虚偽もないのである。

「それがどうした!?」