リルケの書いたロダン(Rojin) についての章を読んだ。労働の塔は美しい白い作品で、誰かしら見たことのあるものではないだろうか。このわたしでさえ、見覚えがあり、このこじんまりした何処かしら簡素で単純化された塔を見て懐かしくうれしくなった。まるで白っぽい清潔なお菓子の塔のようにも見える。ロダンは パリ万博に何か出品してくれと頼まれ、発奮したとも。
ただ申し訳ないが、ワタシは1867年の パリ万博に、ロダンが何を提出したのかよくわからないでいる。ただ、1840年生まれのロダンが27歳であったということだけしか。
人は塔というものが、好きらしい。地理の目印にもなるし。産業革命とともに多くの石炭や多くの労働者が必要になった世界では人々は生活費を稼ぐためにがんがんに働き始める。鉱山に潜った男達は、地下に潜りスコップを持つ。ある日、鉱山が崩れて多くの人々がなくなった。
ロダンはこの事故について深く同情し、彼等の碑を130メートルの碑を作ることを考えていた。
それはただこのワタシが考えたことなので、 その党が、碑であるべきだったのかは分からない。ロダンの心のうちは知らないが、その門として、地獄の門をつけようと考えていたのだった。それのミニチュアが、この白い螺旋模様の塔である。
ロダンは、労働者というものに大きな理解があったと言う。きつい仕事、奴隷のような仕事、使い捨てられる彼等もいた。
130メートルは何故かそれは実現しなかった。地下には鉱山などの労働者やその他の労働者で成り立っている。
塔は螺旋階段式になっていてテッペンの尖塔部分に上るにしたがって、詩人、哲人、芸術家などの住処となっている。
最も上には天使のような羽が生えた殿上人が、針のような先端に群がっていた。これは、ベネディクションと言って歓喜、お祝いなどの意味らしい。
こんなにもシンプルで白い塔。
その他にも、敬愛するヴィクトルユーゴーの像とか、バルザックの像とかある。ユーゴーについては、ロダンは詳しく知っていたらしいが、これ本当 敬愛とかから発した創作かしら?と思っている。
ユーゴーはすごいクリエイターには違いないだろうが、わたし個人的には全面的に賛同できない。
バルザックについては、伝記的映画を見たことから、なんとなく恰幅のいいおじさんのバルザックが好きになった。 ユーゴーほど押し付けがましくないのがよい。バルザックの像も憤怒や矜持が入り混じった良いものになっている。
ロダンの作品は、どれも、どこかへ伸びてゆくようにできていると、リルケは言う。
そして、たくさんの作りかけのものたちは急いだり焦ったりすることもなく
ロダンが来て働き出すのを待っているのだと言っている。
ロダンは、いつも孤独の環境で仕事をし、共同作業は一度もしたことがなかった。彼は尖塔の付いた大教会も作らなかった。
孤独の中でなければ、彼は働けないと言う譲ることのできない真実の心情があったのだろう。
コラボできないことはコミュ能力がないとかと今なら悪口いわれて当然であるが、そういうことでは全くなく孤独な、巨人ともあれば、
他人の干渉はうるさいだけであったのだろう。
実際に、地獄の門の写真を見てみよう。上部にある二、三人の人間たちが見易いだろう。
彼等の少しく曲がった背中、その他の肢体は現実味を帯びていて、まさに、彼等の生活での出来事、話し声まで聞こえて来るようではないか。