いつも庭で遊んでいた私。雨だれ、これ程綺麗な音楽を聞いたこともない。風も吹くし、雷は恐い。藁小屋、シダの群れ。春なると、ミツバチの忙しい作業を毎日眺めた。
庭は、私の全てであった。まさに、そこが。
子供の頃の不愉快すぎる思い出は、初めて知った心の痛手であった。知り合った友人はイジワルで私の持ち物をことごとくけなした。5歳という年齢は、重すぎる門を開けた時期。子供には処理できないほどのドス黒い大人の世界が広がっていることをうっすら了解したのである。
それはともかく、今はロダン(フランス)を読み始めたが、石のこと、彫刻のことが、あまりにも細かくと書かれていて重く切迫してくる。
考える人(シンカー)、そりゃそうだ、シンカーね。バルザックの像もあるー特徴が捉えられてるね。
最後に地獄の門だね。ーこれは中学か高校の頃に美術本でみたように思う。細部が気になって、覗き込むようにしないと何が彫ってあるのかも分からない複雑なものだった。ダンテの神曲がモチーフとか。どちらにしても「地獄」には行きたくないなあと思った。
地獄の門がロダンの作品だと、最近知った。ーミケランジェロを書いたときに調べたからね。
ロダンについてリルケが書いている随筆もある。なるほどね。確か、実際にロダンの元で仕事もしていたと記憶している。年がら年中休むことなく仕事を続けるロダン。
そして石だが。庭に落ちていた石。小石より少しだけ大きめな石があったー小石とは違う。砂利でもない。5歳の子供の手の平に乗るぐらい。
それを右手で拾い上げ、私は思った。この平たい明るい色の石を、わたしの身代わりにしようと思いついたー決心に近い。そうすれば、私が幼くして死んでも、この石が身代わりに残ってくれるだろうと。