スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

ただの私  オノ  ヨーコ  1990年

ヨーコの経歴、長い経歴が、次々と語られる。幼年時代から、レノンの死が言葉少なく語られる。言いたいことは山ほどあっただろうが、

簡潔にやっている。

だいたい今までも同じことで、よく知っていた内容が 復重して書かれている。

 

これを読めば、彼らの大抵のことが把握できる様になっている。

盛んにレノンの自慢をしている。彼のprimitive な歌やギターのこと。べたぼめといってもいい。

私の周囲にもどうしてもヨーコのことが許せない、認られないという人がおおい。大抵男性だが、

こんな奥さんは自己主張強すぎてこわいのかも。女性達は、こんなこと平気であるし、そのままを認めてしまう。巨万の富と共に生きてはいけないのか?それでも尚且つ、自由(freedom)を求めてはいけないのか。生きている隣人としてそっとといてあげることもできないのか。

freedomは我々の永遠のテーマではないか。Oh freedom ,oh freedom,that is what we fight for 、  ask for--

 

 

ジョンがレコーデイング後に直ちに亡くなったことは、ちょっと前例を見ない事件であった。

ヨーコと一緒のレコードを製作していた。25年ぶりの復帰であったレノン。

「ダブルファンタジー」である。このレコードの表紙には二人の写真が載っているものだったが、私は、ジョンの顔を見て、え?と思って、見間違いかと思って、二度見、三度見もした。

ジョンの顔に死相の影が見えていた。こ、これは如何したことか!。

その後、死亡が発表された。ヨーコは未だに、この事件を重くうけ止めている。

彼は、自分の死を予感していたと言う。自分が亡き後、ヨーコと子供の事をとても心配していたらしい。実際、死後は、ヨーコは多くの裏切りに遭い、盗難にも悩まされた。家で雇ったマネージャーなどにやられたらしい。裏切りにも苦しんだだろう。手のひらを返した様な周囲の態度。次々と降り掛かる不幸があったそうだ。悲しみで打ちひしがれたヨーコにこれでもかと降り掛かる雨。いや、イシツブテか。

死ね、とかこわい嫌がらせや、強迫の手紙が次々と送られてきた。悲しみでヘトヘトの時は誰もが普通の判断ができなくなると言っている。嫌がらせは、手の込んだものもあった様だ。

如何やって切り抜けたのか、必死であったろう。「walking on thin ice」は、結構よい評価を得ていた。薄氷の上を歩く女の危うい人生を叫び歌った曲であった。

大者は多くは語らない。プライベートを告るのはやはり怖いであろう。

生きる人間の心理というものは、その時の傾向とか情報とかに左右されやすいものである、と

それで、現実に人の心が左右されることになる、ので怖い。

 

現在の時代を反映して我々の現実感は構成されている。