このドイツの作家は、無邪気な面と、複雑奇怪な面と、いろいろな色を出して来るのである。
ガラス玉演戯など、その他の作品も、シッダールタ、デミアン、荒野の狼、アウトサイダーを主役においたストーリが多い。 ヘッセ自身、車輪の下でも書いたように、人生の大きな屈折に出会うことになり、自殺未遂に至った経験もある。
そんな落第生を、持ち上げてくれたのは、アウトサイダーの存在しかなかった。
世俗社会から背を向けて、生きる不思議な彼等に比べると、、この世の栄達を果たす為のラテン学校だの、神学校だのは意味のないものに見えた。
どちらにしても、ヘッセは、神への忠節も俗世界での栄達も望めずの自分自身に大きく躓き、心身とも混乱を極めた。
彼自身のあまりにも大きすぎる矜持に阻まれていたのである。
このような中で、文学だけが、そこに不思議な人々を描くことだけを、心の拠り所としたのだろう。
ヘッセ自身はアウトサイダーかどうかはいざ知らず、彼独自の世界を切り拓いたと言える。
「クヌルプ」は、落ち着いて読めた一作だった。ゆっくりと落ち葉を踏みしめて歩く散歩道の様な作品だ。
最近妙に慌てふためいていた私にとって、一陣の涼しい風のような最初から楽しいものだった。
ノーベル賞作家の上手い文章とはこういうものなのかと、仕切りに感心した。
まず切れ味がある。読み易いし、場面を簡潔に素早く表す技量はさすがだ。
クヌルプの放浪生活も40才を過ぎる頃から、病気になり、故郷に帰りたいと仕切に思うようになる。
人生の規則にがんじがらめに固められた人間たちの生活と比べて、クヌルプは、自由であった。
君は病院に入院したまえ、放浪なんてもうやめるんだ、と、同級生の医者にいわれる。
もうすぐ、彼の命が終わることを、医者は見抜いていた。
クヌルプは、死ぬ前に、遂にかつての生家に立ち寄った。美しい夢を見た庭の一隅、ラテン語学校をやめた時父に殴られた家、オマセな女の子に振られてしまった経緯、それは思い出であったが、彼を美しく包んだ。お馬鹿なクヌルプ、なんの職にもつかなかったクヌルプ、何も成し遂げられなかったクヌルプ。才能に溢れながら、とはいうものの、そこは書きすぎではないだろうか。ヘッセ自身への賞賛か。
最後には、森の雪の中で病気の彼の前に神が現れた。神は、夢みがちな無邪気な子供のような彼の心を尊び、天国へと誘ってくれたのだった。
ちょっとヘッセの自慢癖が出てしまっているが、小品として手抜きをしてしまったのだろう。
ヘッセの庭好きは有名のようだね。ママンの庭とか。