カフカのことをヘル ドクトル 、または、ドクトル カフカ, と 敬称で、著者は呼んでいる。
,カフカと同じ役所に努める父親によって作者ヤノーホはカフカと面識を持った。
以後、文学、人生、政治、仕事、とあらゆることを、話し合う、いう形式で、進んでいく。
カフカ自ら話し出すということはなく、常にヤノーホが本を持って来たりして、意見を聞くという形式がほとんどである。
カフカは、役所のデスクにいたり、あるいは窓辺に立っていたりというポーズで、答えている。
大きな緑か灰色の目を時には見開いたり、すぼめたりで、言葉少ないカフカであった。
そんな少し難しい彼に、ヤホーノは友人という立場を認めてもらい得意であったろうし、貴重なものとして、大切にしたのだった。
カフカの独特な静かなポーズを繰り返し描いている。
カフカの言葉も、ゆっくりと、絞り出すようにしゃべっている気がするのは、作者の表現力のせいか。
文字を追って読んでいると、神経質になって寒くなってくる。かなり神経質なかんじをうける。
だが、カフカの言葉に真実が滲んでいるので、決して見捨てることはできない。
彼は考え詰めたことを、話すのである。それは怖い感じでもある。
人生を突き詰めて行けば、皆人間は、死なねばならなくなる、と、スッポコは思った。
真実とは、酷で冷たいものだ。弱い偽りの姿で、自分を捉えているから、こんなことになるのだろうか。
罪を忘れようともがいて闇雲に欲の命ずるまま行動する人生、彼はそれを夢遊病のような人生だ、と言っているが、まさに現代の我々もそうである。
文明の発達が、人間を、ズタズタにして想像力を奪ったことは、今の自分たちを少し見れば、わかりきったことである。自分も、世界も寸きざみに刻み、ある限りの小さな視野で世界を見ているというわけだ。
機械が、世界を担うようになるとか、そういうことを予見したり、権力が、我々ユダヤ人を、
圧迫する日が来るといっている。
著者は、まさか、と否定したが、カフカの言った通りの世界へと変形して言った。
戦争は、人間の想像力の、欠如によるものと述べた。
色々な悪い行為は、こうして公然と行われるているのだろう。
1924年にこの世を去ったカフカ。「作家という仕事のために、仕事が昂じて、こうして病になったのだ。私の不注意によるものだろう。また私が裕福な家に生まれたという罪のためだ。」と言ったと書かれている。
そうだったんだね。
- 作者: グスタフヤノーホ,Gustav Janouch,吉田仙太郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1994/06
- メディア: 文庫
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