そこで働く7、8人の庭師は皆芸術家のようにも見えた。
モネは 1869〜1926年の人生を生き切った人である。18600年頃は、日本では桜田門外の変があったころで、パリでは万博も開かれようとしていた。
モネの絵は、万人向けの美しさがあり、特に女子供に受けそうな絵である。
ただ美しいばかりであると何か物足りなさを感じてしまう。人間というものはわがままだ。
モネは、たぶん凝り性の人間で、これといったらすぐに実行に移してしまうのだ。スッポコにそっくりだなあ。植物は集め出すとキリのないものなのだ。次々と美しいものがあり、またさらに美しいものが天国まで続いているのだ。ええ加減にせいと言いたい。自分にも言いたい。家族に内緒で、こそこそと
花を集めていたからだ。庭の植物に全く興味のない家族に悟られることもなく、あじさいも赤から白、ピンクに紫。柏葉もあればピラミッド、アナベルにベラアナと際限が無くなる。アジサイだけでもこんな風なので、あとはもうキリがないのである。
スッポコはモネの絵は特に評価していない。一時中高生のころにモネに魅せられたが、それだけのものだったような気がする。つまり素人のスッポコが好きな絵など価値がないのではというわけだー。お堅いマネなどに比べると、子供のような絵であり、またモネ自身も子供のように無邪気な人だったに違いない。ヨーロッパの毒気に汚染されていない初々しい人間性である。きっと日本にも強く惹かれたであろう。日本には欧州的毒気がないからのう。せいぜい、河童がいるぐらいだし(笑)
入り組んだ花の小道を歩く時、人は心ときめき何か人生を素敵だな、と思うのであろう。
ところであの薄紫の大根花はたぶんリナリヤではなかろうか。
假屋崎は庭師と一緒に、花の植え替えをする。かなりきついに肉体労働に汗をかく假屋崎であった。こうするとより庭に愛着がわき植物や庭の土のことがよくよく分かるようになるのだ。ただ假屋崎は、すぐ日本に帰るのだがね。
モネは自分の絵に、一抹の不安を抱えていた。それは精神的な弱さでもあり、じぶんの芸術の限界を感じていたのだと思う。あの優しい色合いからもそれは窺えられる。断固とした男性らしいものがない。
フワフワと浮遊するわたげのようだ。
それを埋め合わせるためにも、彼には庭が必要であった。そこを埋める植物、「現実に生きている植物」たちが必要であったのだ。多くの費用がかかっただろうが、モネはそんなことには無頓着、すぐに忘れて、次々と花の注文を出したのである。これみんなスッポコの想像ですが、驚くには当たらない。
今回は超辛口になったが、自分にどこか似ている脳天気のモネなので、仕方がなかったのであるよ。
はじめはモネの庭の池造りに水が悪くなるといって農民らが反対したそうだが、
現在では、一大観光地となり、多くの観光客が毎日やって来きている。
庭は息子が引き継ぎ、モネ財団が管理している。