そもそも、庭とは自由の場所だが、都会の狭苦しい場所に、池付き庭を作る意味があるのか。
歩く場所が少なくなり、とても、もったいない。
子供が、走ったり登ったり庭石の間を巡ったりできる方がよほど価値がある、とも言える。
由緒あると言うお寺などにも、池はたくさんある。池がなければ、由緒が傷つくのだろうか。
小さなポンドならいざ知らず、管理も大変な池は作らず、ズズーっと大地が蹴れる様な土の方が伸びやかで本当は美しいであろう。
人間でも厚化粧コテコテの人は裏で笑われているはずである。目立てば良いと言う人ならそれでも良いが、庭にも化粧をし過ぎると、醜くく、欲望コテコテに見えて、ツライものがある。
欲望を感じさせない、平凡でつまらない池が本来美しいだろう。
庭も、作為なく、平凡でつまらないものが、実は美しいともいえる。逆も真なりだ。
下は天下の金閣寺のお庭のお池である。これくらいの規模で、やらないと、意味がないでのう。
スッポコは、金閣寺に興味はなしだが、有名だからやってみた。