本当に悲しい時には、この庭に降りて行って、悲しいよ、と言う。。いつの日にか、私も、この庭に吸い込まれて、消えてゆく存在である。
ああ、これは古い、ある庭なのさ。遠い過去の庭師とやらが、設計施工したのだろう。とても大雑把な造りだが、まず今の庭の作り手には真似は出来まいね。ただこんなに、たくさんのバラバラに置かれた石はなかったはずだ。一体誰が置いたのか。実にへんてこりんだ。素人細工にも程がある。
子供の頃は、飛び石とかのない広い空地のような造りであった。
だがそれは、いかにも、何もない広い空き地に、石を置きたくなるような誘惑に晒される事でもあったー私は誘惑に負けてすぐに石を並べたのだったー飛び石の置き方には本来、法則があったことも知らずに。
実際に、夏休みに、家族が、石を運んで、飛び石風にしたのだった。ところがそれが失敗の始まりだった。
飛び石の設置は、実はとてもバランスが難しく、素人にはできない事だった。
何か工事があるたびに、皆が私を習って、大工さんが石を置くようにさえなっていった。
庭は噴火して石が落ちて来たようにデコボコの面となっていった。
同じ造りの庭が、もう一つ近くの家にあるのだが、(おそらく同じ時代の同じ庭師) 中央の空間に、誰かが飛石を置いていた。私の庭と同じことが、その家でも起きていたのだ。後世の子供達が、空間に我慢できずに、素人細工で、石を置き出すのだ。修学旅行や、本や、テレビで見た、庭園などの真似をし始める。
この庭が、一般に知られていないのは、文化の程度の低い地方であるが故である。
この庭は、醜いほどに人を待っている。人が自分を褒めてくれるのを待っているのだ。
だが、いつまで経っても、人は来ない。。
人の姿がないので、秘密の花園のようだ。広い庭師の心は、けれど風化されずに、ここに残っている。
いろいろな花が咲くけれど、何故かひっそりと咲いている。ひっそりとさくのには、やはり訳があるのだろう。
落ち葉の下には、露があって、きっと冷たいんだ。お昼になると、アリ達が目的もなく動きだすのさ。のんびりとね。
クモの巣は上の方。ただ蜜蜂さんにもよろしくと言っておく。
蝶もたまには来るけれど、大抵川や、溝の水を飲むんだ。
ヒバの木が三本あって、
この木はお部屋に飾るクリスマスツリーほどの小さな可愛い木だったけど。10メートルにもなって、お手上げだね。
この木は74さい。戦争から無事帰って、植えたらしいが。庭はもっと昔からあったらしい。
そっくりの庭が幾つかあるんだな。大木の銀木犀、そこから始まる大きな川石の飾りハランの株など、何もかもがそっくりだ。
ただ、この庭は、誰にも知られずに、特に権力者に知られる事はなく、知られたとしてもこの庭を理解できる教養が無く、と言った具合だ。
大雑把に言って、庭などを愛でる教養文化が、貧乏な地方には欠けているために、まるで貧血のようになっている人々が多いのだ。
もちょも、こんな田舎でも、過去にとても大きな庭を持っている家があって、素晴らしく大きなツツジの群れや、大きな何本もの木がある庭がある。その間を縫ってシュロや、ソテツの木などが育ててある。まるで、異星に来たような庭。しかしそこはあるヤクザの親分が買ってしまったそうだ。
一方、カタツムリさんは何も言わない。子供には、黄色い背中の渦巻きが、ニッコリ笑っているように見えるんだよ。
大株に育ったサツキがあったが、そのサツキを抜いた時から、この庭は、本当の意味で、死んだのだった。
ああ、それを誤魔化すために、ひたすらごまかすために、今日まで私はのたくって生きて来たってわけだ。あの美しいサツキさえあれば!あの女王が帰って来るのであれば!私は何もいらないのだが…。
さて自分は夢を見ているのだろうか?この庭の自分だけの美しい秘密の夢。