橋本は「春の雪」に注目をする。美しい男と醜い男の対比を見る。また仮面の告白では仮面の下には誰がいるのかという問題を繰り返しかんがえている。芸術家ならばこのような特異な告白も許されるが
これを書いたたのは三島ではなく平岡公威という芸術家ではない普通の男が書いていることになっている。だが、これは三島の本名である。では三島はどこにいるのか?と理詰めでせめていくそれで仮面の下には誰もいないという結論に達する。橋本はこれも虚無を感じると言っている。この二重のトリックはわかりにくい。そしてさらに、三島の言葉全体が、持って回ったような分かりにくい表現に満ちていることに橋本は苛立ちを覚えている。これも虚無を感じるといっている。虚偽ではないのかと疑っている。というより恐れている。同じ文学の土俵に立った者として、大学の同窓生として、また人間としてだ。
接吻のシーンなどヘンテコリンでおかしすぎる表現であるといっている。 能動体であるはずの文が受動で書かれ、わかりにくいのがさらにわかりにくい表現をとる文学だといっている。たしかに彼の文章は少しくおかしげなところがある。
だが詩となると、かえってそれがうまく働いて流暢な美しい着物が垂れたような雅びやかさがある。
これらが天才と言われている所以であろう。完璧に美しい文章、これが三島の醍醐味ではないのかとおもうのだが。
結局、橋本は三島がなぜ切腹自殺に及んだのかと言う原因を文学から読み解こうとこころみたのではあるまいか。
三島は忘れ難いものを残して、死んでいった。そして当然彼の文学も忘形見となって残ったままだ。
今更に人気が衰える気配はない。彼に対しては賛否両論があり、ごうごうと未だに唸りつづけるのだった。誰もが、恐ろしくて近寄れないのである。自分自身が傷を負う羽目になってはかなわないと…。
橋本は本の冒頭から、アポロン像が、三島の家に飾ってあることを取り上げていて波乱含みな始まりであった。
19歳頃から、ポツリポツリと全作品を読んできた橋本にとって、三島について書く事が大切なことなった。
橋本はこの三島の亡霊に決別を告げるべくこの本を書いたのだった。
スッポコにとって三島の作品をよく読んでいない為に早急な答ができない。ただ三島の顔はスッとこっちを見ている。この謎を解いてみろと言わんばかりであるよ。
多分空恐ろしいことになる。嫌な予感をかんじるのだ。私も橋本と同じく、いや早くも決別を心に決めて深入りしないように用心すべき、とおもっている。ハードカバーと文庫本がある。
- 作者: 橋本治
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/10/28
- メディア: 文庫
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全作品を読んだ橋本だが、この本を頼りに三島の作品を調べている私にしてみれば、作品の題名の索引が全くなくて、この分厚さなのに、意味がなくなってしまうと思うのだ。例えば、「青の時代」を読んで、どのページにに青の時代のことが書いてあったかわからないのである。手抜きでござるよ。
出版社もこれじゃあ、本腰を入れて作ってないのね。作者も、読者もかわいそう〜。うううっ😿