高田80歳の時の著書である。この人の本を、数年前によくよんでて、印象に残っていた。実践的な事が、いろいろ書いてあり、文章もとてもわかりやすいという長所がある。
般若心経の解説を読んだ記憶が一番記憶に残っている。ただ。もう忘れてしまったので、もう一度読もうとしたところこの本に出会った。出会う運命だったといってもよいだろう。
それほどこの本は良い事が書いてある様な気がする。
しかし小説とはちがって記憶に残らないのである。困ったちゃんである。
すっぽこはこの本の中の「身念処」という体操にとても興味を持った。
じっとしていられない多動な私にとって座禅はなかなかできない、不可能に近いものであった。
いつもバタバタと忙しく感じ、家の内外を動き回る日常生活において、座禅をしている暇があったら、一つでも家事を終わらせたい。草取りを終わらせたいと、いつもあせっているのである。
そのせいか、セールストークなどでものすごく丁寧に親切そうにゆったりと接して来る人に対しては詐欺ではないかと警戒してしまう。こんなのんびりした人間が存在するわけ無いと信じ込んでいるスッポコである。
この様なスッポコにとっては、仏壇に手を合わすのさえも落ち着いてできなかった。
だがこの体操は違う。
そして実に気持ちよく、座禅の様な気持ちにさせるのである。
最近、少し体を壊してどんよりと鬱の日が続いていたところであった。
いろいろな変化もあり周囲で、変わった現象があるなどとして、不審におもい、丁度ほぼまいにち般若心経をとなえるようになっていたスッポコであった。じつはスッポコの家では仏壇が、別の離れた家においてあり、毎日行けれないという事で、お経と戒名だけはあげておく事にしたのだった。
藁をも掴むきもちであった。この体操をやってみよう!とすぐに実践したわたし。
一人しかいない自分を大切にしよう、五体を与えられた事に感謝しようということである。
むさぼらず、人と比べず。座禅とは欲を忘れる事であろう。欲を手放して初めて裸の一人の人間として大地に立つ事ができるのだ。人より健康もマインドも劣るスッポコは、こういうことをしなければ、少しでも人並みになれないんだ。
また健康に、幸せに生きるには、どうするのがいいのか、男と女の違いなどなど宗教哲学と医科学に満ちた話がつづくのである。合掌。