スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

大名庭園  NHK 歴史探偵より 2月28日(水)

江戸時代の徳川大名が作り上げた庭園は、もちろん広大な敷地を自由自在に使って殿様のために作った庭だ。殿様は、自由に出歩くわけにもいかず、狭苦しい生活を送る事も多かったが、この広大な庭のおかげで、まるで外出したり、旅に出たりと言った「気分」を味わうことが出来た。もちろん、本物の旅というわけにはいかないが、疑似体験ぽいものではあったけど。

浜離宮恩賜庭園をはじめ、いろいろな場所に大きな庭園を作った代々の将軍たちであった。浜離宮は、海の側にあり、庭の海水池で潮の満ち引きまで見ることが出来た。赤坂にあった西園では、まるでリアルな農村に迷い入ったような場所が作られていた。これは、マリーアントワネットの離宮とも意味合いが似ている。ストレスが多い城住まいではこう言う特殊な施設が必要であり、そこで命の洗濯が行われていたようだ。

お店が並び、庶民のように買物にきょうじることのできるところや、和歌のための六義園というところもあった。

文京区の小石川の後楽園は水戸黄門といわれた光圀が作った大きな庭園であるー江戸を出発して中山道を通り京都へ行くあり様が庭に表されている。様々に工夫を凝らした大規模な造りになっているー静岡の白糸の滝やら、琵琶湖に見立てた広い池、紅葉サザめく竜田川などが模されており

幾重にも曲がりながら、京へと導かれて行くのだ。寝覚めの床と言われる美し過ぎる景勝地は、多くの歌人が好んで行った場所であるーそれを縮小して、滝を作って寝覚めの滝としたり、である。

ただ、やはり、本物の自然の方が雄大であり、美しいのはわかりきったことである。本物の前には、これらの庭も身を小さくせざるを得ない。ただ多くの人たちがこの工事に関わり、また維持するにしても多大な金額もかかり、多くの植木職人らが、集ってこれらの大名庭園を存続させて来たと言う、セコセコの人間臭い歴史がある。高い技術を駆使し、盆栽や、品種改良にも取り組んできた歴史がある。ソメイヨシノのさくらはこういう植木職人の技術によって生まれ、全国に広まったとある。花見花見と浮かれていられるのも彼らのお陰、敷いては彼らを育て上げた大名庭園があったからとも言える。

イギリスのフォーチュンという有名なプラントハンターは、日本の江戸で、日本人がとても花を愛でて忙しく世話をしている姿を見て、

感銘を受けたという。世界中を飛び回った王室お抱えの庭師でさえも、日本の庭の美しさ、草花を愛する並々ならぬ気持ちに、驚いたようだ。江戸というたくさんの人口の狭い家屋で、季節季節で朝顔や、菊、まつや、うめ、もみじなど、生活にアクセントを入れて日本人は

楽しんできたのであった。