とおるという男は、京で左大臣にまで上り詰めた、嵯峨天皇の子孫であった。
美しいものに目がなく、雅なことを愛する男であった。
のちに、天皇になろうとするが、左大臣などという俗世の位にあったものが天皇などにはなれませんと、言われて、がっくりとなり、邸宅に引きこもって、庭造りを始める。
同じく、左大臣だった者が、その後天皇に取り上げられたことも、悔しく許しがたい事であったのだろう。
昔行った、東北の陸奥国の塩竈の美しい海辺の景色が思い出され、塩竈の様に海の庭園を造りたいと思い立つ。
河原院という邸宅に、水を引いて、池などと言う陳腐なものはやめて海を作ることにする。
京都ののど真ん中に海を作るために、遠方から海水を運ばせて、本当の海のように、海の生き物の魚介類を入れて楽しんでいた。
その魚などを塩焼きにしていたので、京都でも、えらく評判になっていた。
贅を尽くした四季の庭やその邸宅は、評判になり、憧れの的となった。
だが、死後に、その邸宅は法王のものになり、源融は幽霊になって邸に現れる。
京の町で海もないのに、潮汲みの老人が現れる。
不思議に思ってはなしをきくと、融が作った庭の話をし始めた。
そして美しい庭で、薄色の着物を着た美しい男が舞い始める。
舞は延々と続き、うつくしい庭を賛美してやまないのだった。長い彼の舞は続き、旅の僧に景色の説明をするのだった。京には美しいものが数々ある。その中でも私のこの庭に勝るものはないだろうと言わぬばかりである。
こんなにも庭に執着している融の霊魂であった。
なんとか成仏してほしいと願い、旅の僧は祈る。
僧の祈りが通じたのか、融は月影にすーと消えていったのであった。