スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

ブーニン復活  NHKTV より

あれから長いこと沈黙を守っていたブーニン、あの時の人気はただの空騒ぎだったのかとも思えたものだった。ショパン 国際コンクールで 1985年に優勝したブーニンにとって、それ以後の人生は本当にドラマかと思えるほどの波瀾万丈であったとも言える。まず、ソ連(ロシア)からドイツに移住した。亡命というのが適当か。

細身で金髪の美しい青年は、既に57歳になっている。なるほど、若い頃は、兎に角あの美しい容姿が彼の芸術よりも先行してしまった苦い経験を乗り越えるにも複雑なものがあっただろうに。細く長い指から奏でられる美しいショパンの名曲の数々は虚しくも鍵盤から流れ落ち耳に届くことはなかった。

日本人のファンが求めていたものは彼の綺麗な指や身体、容姿であったとおもう。私もその一人であったーショパンの曲も何も知らないで、ただブーニン人気にちょっとだけ乗っかた覚えがある。レコードを聴いた感想はというと「虚しい」と言うものであった。芸術というものへの接し方も何もわかっていなかった日本のおおよその環境は、今やっとのことで、髪をとき、靴でも履こうかと自分の靴を探しているという様に遅れてはいる。

 

新潟長岡でのコンサートでショパンの「幻想」ぽろねーずという曲を弾いた彼、この曲は、死ぬ気で弾けと言われている難曲あるという。

日本の音楽大で客員教授として働く間に、通訳の日本女性と結婚したそうだ。

病気と骨折とで療養を課せられたブーニンは、しかし、何年も経った後の現在、この「幻想ポロネーズ」と言うとても美しい曲を人間の耳に届けてくれたーこの曲は彼のために永らく待ち続けてくれた曲であった。人が生まれてそして生きて死ぬまでの物語を含んだショパンの曲を見事に表現したのだった。この曲を弾く人は何人もいるだろうが…、しかし、

あの細身のボディーも金髪も無駄ではなかった。

…。日本人の妻は舞台の袖で、彼のピアノに、涙を拭っていた。