今川家の末裔の、うじまさは、武家としては今や成り立たないと悟る。親である今川義元は、三河西部の大物で、周囲に睨みをきかせて、巨大な権力を保持し続けていたのだが、貴族のように蹴鞠や和歌などの文化にも浸っていたーそこのお坊ちゃんのウジマサは、信長、家康等に負けて以来、武士である事に限界を感じた。彼は驚く事に、武家の今川家を捨て、かねてより憧れた京都に出奔する。頭を剃り、
そこで貴族らと見え、和歌や絵画などの教養に時間を費やしていった。貴族は朝廷とも繋がっており、やんごとなき美しい文化やしきたりにも精通するようになって行く。
この武家としての身分をあっさりと捨てたことが、ウジマサの本領を発揮した今川の誇りであったかもしれん。誰もそうそう全てを捨てることは出来やしないのだが、それを成し得るにはそれなりの大きな底知れぬ動力が必要である。今川という大きな権力、身分は、ウジマサの血肉と骨身にたっぷりと染み込んでいたものとみえる。
家康は天下統一後に、ウジマサに朝廷の扱いについて尋ねているー朝廷に取り入るための策を信頼するウジマサを頼って聞いたのであろう。過去今川家の人質として過ごした家康であったが。ウジマサは貴族社会のやりとりについてもいろいろ知っていたからだ。
また江戸幕府の終わる頃にも今川の末裔が、登用され、天皇の扱いについて、いろいろ聞かれ、彼を天皇とのパイプになってもらうということになった。
このようなことで、土地を貰い石高ももらうと言う褒美を受けた今川であった。
信長に負けた桶狭間の戦いの後、刀を捨てたその大きな勇気が、巡り巡って子々孫々と繋がっていった。