スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

英雄たちの選択  家康最後の決断  12月27日  2023年

家康の晩年、75歳で亡くなるまでに、法令を整えて、日本を一つの国に仕上げようと最後の力を注ぐのだった。東北の伊達政宗はまだまだ元気で力もあった。そこに、息子の秀忠の弟の忠輝いう息子が伊達政宗と組んで、君主たる秀忠をやっつける計画があるらしいとの噂を聞き付けて、悩むのであった。一見兄弟同志で勢力争いはあったものの、伊達と組んでいるという事実ははっきりしなかった。

しかし、用心に用心を重ねて、忠輝を、改易し、そしてお寺へと蟄居の身にしたのであった。コレでもう、手も足も出ないであろうと…。

つらい判断であったが、中途半端には出来ぬものがあった。こうして松平忠輝として、長命にも92才まで生き延びたのである。

彼は趣味が深く、芸術を愛していたらしく、人生を楽しむ事をしたのかもしれない。父である家康は彼の為に、信長、秀吉、家康と代々伝わった家宝の笛を、自分の形見として彼に送ったという。

いち早く朝廷や寺などにも気を配り、足をすくわれないように、入念に扱った。彼等が、家康に叛けば、長年にわたる末の統一も水の泡になると、肝に銘じていたのだ。大阪城にあった宝物などは、恭しく朝廷に捧げるのだった。寺の勢力にも苦い思い出があり、押さえておくべき箇所であったのだ。それらを整備して、各国の石高を定めて、逆らえない形式で整えた。

春日局が活躍したのも家康が晩年にあった頃である。形式を作ると、人というものはついつい、それを遵守してしまうものらしい。

その心理を知ってか、まず法を作りそれを遵守せよと広く言い渡したのだった。