スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

井伏鱒二 の足跡

この人は明治31年に生まれて、大正、昭和、平成を駆け抜けて来た人だ。95歳まで生き抜いた。

長い人生だったろう。豪胆な感じの中に、ナイーブでナチュラルな感じのある人柄は、いいかんじである。

5歳で父親が亡くなるが、兄と共に、なぜか芸術が好きで、絵画を勉強したり、知らぬうちに文学で名を成したのだ。コレは父の遺言に反いた生き方であった。父はカタギの職業に就いてほしいと遺言していた。

美術学校、早稲田大学とを行き来した人だが、どちらも途中で脱退している。結構なことやってる人だったんだね。だからこそ、視野も広く苦労した分が反映されているとおもわれる。

美術に親しみ、よいものに出会ったときは、無邪気に喜んだ。

小林秀雄についてもちょこちょこ書いてるわ。小林には取りつく島もないようなところがあったみたい。でも、小林は、井伏を高く評価した人であった。いわゆる恩人だね。

 

井伏鱒二は、目立たず生きて、みずみずしさを失うことなくやって来たのだ。

ジョン万次郎随筆では、直木賞をとっている。ほぼ、誰それの歴史記録に依存して書いたと言う正直さがよい。

長きにわたる文壇生活では、20年と太宰との関わりも長く、兄のように彼を見守り太宰もなにかと甘えたかもしれない。才能あふれる太宰に井伏が師匠として導く立場であったが、タイプの違う二人がどの様に関わったかはちょっと想像しにくいものがある。

 

鱒二の生まれ故郷は広島であるゆえに(とものつの茶会)を表し、原爆投下の県としてこの事を書かずには居れないと思ったであろう。押し殺していた社会への反骨精神も、ここに来て反原発、反権力としてハッキリした態度を取るようになっっていた井伏であった。

戦争から復員後の若者たちは、大なり、小なり心を病んで帰って来た。

神経を病んだ若者が、黒い雨に打たれて死にそうな若い女性を助けるために奔走する物語。しかし、その甲斐もなく、女性は放射能の灰の黒い雨を受けた事で、若くして死んでいくのであった。アーメン。