はちゃめちゃな映画イタリア系だと思って見ていたが、イタリア系の中で、綺麗な白い肌と、輝くような金髪を持ったデカプリオは、美しい青年だった。 シェークスピアは、どんな意図を持って、10代の若者を描いたのか。彼にも死に物狂いの恋があったのかもだが、いい年の大人が、10代の若者の気の狂ったような恋の話を、書くこと自体が、どこかに矛盾点があるにちがいない。矛盾点というより、訴えたかった理解し難いものが、あったにちがいない。
相手に愛を捧げることは、命を捧げるの意味であって、それ以外を考えられなくなった2人の純粋な絶対感が民衆に理解されるとでも思ったのだろうか?
「若きウェルテル」について、ゲーテは、あのような恐ろしい危険な恋は、今思い出しても恐ろしいものだった。本当にあった経験だったんだね。しかしシェークスピアほどの純粋さは感じられない気がする。ただの自己中やん。
このような祈りにも似た、神々しい愛は個人的すぎてとりつくもなくシマもなく進んで行くもので
あるだろう。
ロミオと、ジュリエット、このお話は実は単純ではなく、いろいろな矛盾点が大盛りにもられている大皿のようなものだ。
お釈迦だって、悟った時は、自殺を考えた。この幸せ感のまま死にたいとの衝動があったのだろう。だが、彼は心の広い人で、別の生き方を選ぶ冷静さも持ち合わせていたらしい。
弟子と共に行脚に出たのであるから。幸せ感などというものは、長くは続かないという予感もあったかも知れぬ。それは恐怖だね。
悪鬼のような顔の悪人の中にさえ、清らかな流れが宿っているという。でも、かれらのい殺されてしまう人も実際いるわけだしね。
ふーむそうなんかい。でもこれ、ロミジュリとは関係ない話だったね。ごめん。
2人は愛し合うが、女性のパパが、無理やり金持ちの男と結婚させようと躍起になって邪魔するんだな。娘のためと本気でおもってるんだよ、親というものは。
最後には、先に死んだロミオを見てジュリエットも自ら死んで行く。
その若いながらも愛の強さは信仰にも似て時間も止まるような息を呑むような演出であったとおもう。
この劇は、、舞台などで人間が演じてこその苦悩、純粋さ、など現れるのであろうから、これが理解できて、心のくるしみを知った者にのみが演技者であり、感動があたえられる劇である。
また演じる役者も、特にジュリエット役の目付きの本気さにゾッとする死の影が宿る瞬間が上手いなあと。
デカプリオは、いまいち演技に腰をひいている。こういう真剣な恋をしたことがないからだろうか。