スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

欲望の資本主義  格差社会   BS TV

ノーベル賞の経済学者が、ボソボソと喋っていった。俯き加減で、はっきりしない。

格差は広がるばかり、フリーターはいつ生まれたか。

オイルショックは大きく世界を動かしたと多くの学者が発言している。そしてリーマンショックもやって来た。現在のコロナではリーマンショックより深い傷を負っているという調べがついている。

株式とは欲望の幻想である。そもそも、株は、儲けたいという欲望の形だ。儲けるために、株市場を作った人間たちだ。

一部の上層たちが、一部の人々を犠牲にしてできる世界経済は全くの幻想。では何が現実なのか。

今、欧米諸国は、コロナで大打撃を受けている。これを立て直すには、長い時間がかかるでしょう。短期ではあがなえないのです。これは、戦争です。コロナ戦争と言ってもよい。

日本では「一億総中間層」と言われ続け、これもナラティブな、言語的幻想を広く呼び込んでしまった。

この辺りから、日本はどこか、ボタンのかけ違いが起こりつつあった。知らんぷりをして今日まで来てしまった。大丈夫だろうかと半信半疑ながらではあったが。

過去の価値は、今はもう消えたも同然である。働くほど、儲かる。 作る程売れるという流れはもはや消えつつあるのだ。

資本主義は、引っ張られて限界まで来てしまったようだ…。

このコロナ後には、新しい経済が、草の根を分けて生まれてくるのであろうか。それはどのようなものだろうか。

 

現在、小さな事から言えば、教育を守る立場である教育委員会の崩壊、つまりは学校組織の崩壊があるのではないかー人間を育てるというのは建前である。一番の犠牲者は子どもと、その親たち、次が市民である。暴力的な生徒らが大声で怒鳴りながら、登下校している。ー市町村役所の賄賂や、入札問題、病院は弱者を守る所だが、やはり同じく金銭的荒廃が起こっている。市民の知らない間に、勝手な造成が為されていたりは、毎度のことである。声を上げようにも上げられない細かい事情がそこにはあるのだ。極小さな街でもこれだけあるのだから、豊かさの幻影にとりまかれたこの国は破綻が待っているのではないのか。

 

こういう社会になって、灰色の空を見つめ、いろいろ考えさせられた。