スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

個人的な支離滅裂

雪に閉ざされた小さな町、コロナ中にも何も変わらず、一種の戦闘的、先鋭的な方針が進んで行くのである。

ただこれは、無関係の人には全く無関係で無関心な話となるだろう。

ナチスが、ユダヤ人のことは他人事だったように。しずしずとすすんでいく国家の崩壊の時は近いだろう。

我々は、この沈没船に乗せられて陳腐な歌を聞かされる民となるだろう。

 

静かな教養や、羞恥心など何もなく、ただただ経済の発展として、大都市へと発展する可能性もある。過去の東京だって、ススキノの生茂った狸やキツネの寝床であった場であったのだ。其れ以後、いろいろな商人の力量が花咲いて、今日のTOKIOになったのだろう。食うか食われるかの戦いの中で、もっとも、偽善者たる人々が造りつけたたものなのだ。其処から、常に儲けが彼らの入ってくるような仕組みを作ったのだが。

それでも不景気はやってくる。

アーレントも言っているように、低い水準の人々が利用されてゆくことが多い。

例えば、犯罪者とか、借金王とか、色々もう住居を失ったとか、いると都合が悪いために、あちこちを彷徨い歩く人々も、気前よく迎えられるのだ。彼らは半分騙され、半分同意し、半分洗脳された人達である。

町は殺伐となり、お互い秘密警察にねらわれたような気分で過ごし、自由とかコミュニケーションは消えて行く。

他人同士の評価も全て無くなり、ただ一辺倒な答が転がっているだけである。それを喜び勇んで拾っている人々の哀れさは統制されたものであるし、部外者が黙るのみ。

私的財産も消えてゆくだろう。つまり餌のあるところには、必ず鳥獣が来るということである。

私的財産など、訳もなく法律を乗り越えてさらって行くという恐怖政治か。政治、警察、司法などなんの意味も無くなっていくのだ。

アーレントは、世界が崩壊するだろうと、マルクスの時から、いや、ローマ帝国が崩壊したときから、この共同体は、既に現代においてはより絶望感が強く崩壊をむかえつつあるという。全くその通り。

野心は宮殿に住むものではなく、藁屋に住む者の家から出て大きく広がるのだと。それもそうだと。

 

アーレントは検証して行っているが、仕事は雑になり、技術や、教養を高めようとする向上心もなくなるのだと。いい加減な仕事、いい加減な生返事。

ただ言われた通りの、行動をし、ご機嫌をとって、身の安全を確保するのみ。

彼らには自由がないために、新しい芸術も思想も生まれてはこない、そもそも禁じられているからだ。

誰もわからないようにと言うか、知らぬ間に、あらゆる出来事が地下組織によって産まれていく。

こんなものがつまり、都市の元となるのであろうか。

 

人間の尊厳とか生きるための戦いとか、汗水垂らして働く人たちとかとは、かけ離れたナニモノカ、

それらが、明らかになる日が来るのであろうか。

 

それらが救済と言われるのであれば、一種の救済であろう。秘密裏に行われる救済というのであればだが。

権力のなかった人々に,1人では叶わなかった権力を与え、権力のあった人々には、その力を抜き去る。

いや、日本国の中の全てが崩壊神前であり、その気に乗じて、教会も神社も寺も皆混ぜこぜの鍋に入れられ煮てしまうのである

 

現在は、ボルシェビキも、ナチスもいなくなったとはいうものの、教養ある人であれ、金持ちと言われている人であれ、掠め取られて行く不思議な風に、不吉なと言うか、人間の「尊厳とか美しさ」とかを奪おうとする穢らしい気配を感じているのは、誰もいないのだろうか。

 

もちろん何も学んでいないこの個人的感想が、おかしいのでは、まちがいが多過ぎるとも言えるだろう。

ただ、ただ個人的な意見であるので、とても生きづらい、本音が全く言えない社会になってきたことには変わりないだろう。囚人のように。

 

下にあげた暴力については、関係ないのだが、社会がどのように進んできたかが分かる本となっている。

まだ読んでないんだけど、きっと読むだろうということで。