鳥取の田舎の村の田中家の長女として生まれたコヨコである。近くの浜村の海は、白兎の海岸に続いていて、大きな砂山がたっぷりとある場所であった。海までは歩いて、子供なら30分はかかるかもしれない。
低めの山の下には水田や、畑が、次々と続く農業の盛んなところであった。
鳥取は日本の秘境というか、魔境とも思えるほど、何もないところである。
都会が発展して行く中、なぜか取り残され、忘れ去られたような気になる場所である。タヌキやキツネが安心して住める場所であった。深緑色の山と海が常に側で人間のように囁いていた。
このような土地で、作家を目指すなどというのは、とんでもないことであった。
それでも、家は商売も軌道に乗り、裕福であり、書道なども特別に寺で習っていた。
天才的な文学の才能を見せるようになった古代子は、
文壇にも、投稿するようになり、徐々に、文壇には這いいってゆく。
女性新聞記者として注目された。
ただ、そのころ女性解放の波があり、平塚雷鳥などに共鳴していたのだろう。
女性も男性と平等であると、強く思うコヨコであった。だが、いつも現実と理想との間に矛盾があった。女を不平等に扱う者には、戦いを挑もうとするのだったが、
実家のことをいろいろ心配せざるを得ない長女のコヨコであった。
文壇の知り合いと結婚して、女の子が生まれた。この子も、コヨコの血を引いて、文学的才能があり、詩などを残した。
この子は「チドリ」といって7歳で亡くなってしまう。
この子の遺稿を、「千鳥遺稿」としてコヨコは編んだのだった。
あまりにも早くなくなった我が子、そして、幼い彼女の何か天才的な片鱗を見せた文章が残ったのだった。
「古代子と、チドリ」は母子草のように寄り添い、お互いを高め清めあっているかのようだ。
資料は、鳥取県立図書館、二階。