生田花世は、実は、生田春月の妻、春月は鳥取出身の詩人であった。ハイネなどの訳や、「ツゥラストラかく語りき」、プラトンの翻訳までしたそうだ。だから東京でも押しも押されぬ作家であった。
花世は、徳島県の名家の生まれで、落ちぶれた家は裕福ではなかったが、頑張り屋で、勉強も良くできたため、
その時代は超めずらしいことであったが、県立女学校に入学し、教師となって、子供達を教えた。
家計を助けるということもあった。だが、若い花世は、花の東京で一旗あげたいという気持ちにはやったのだろう。東京に出て、一旗あげようと目論んだ花世は、東京で先生になるが、チビで、ブスの田舎者先生には都会での教師生活に馴染めず、やめてしまう。
その後は、出版社などで働き、まさに、フリーターのような生活であった。
「花世」というのは、美人でもない娘に、せめてもと、漢学者の父親がつけてくれた名前であった。
ところが、棚ぼた的幸運が起こる。
今をときめく生田春月から、猛烈にアタックされて、花世はフニャフニャになりあっという間に結婚する。自分のようなブスが、ハンサム、イケメンの生田春月詩人から愛されている。
郷里の両親も、喜んだことだろう。生田も、鳥取から出た田舎者であったはずだ。
なんとなく二人は気が合ったのか。
徳島の人は何か親切だし、素朴な心根が美しい、と思うが、どうだろう。
だが結婚してみると、生田は、常に、女と浮名を流すスケベジジイであった。
ハイネの恋の詩など訳する文化の香りのする詩人に、寄ってくるミーハー女は後をたたなかった。
花世はそのせいで、悩み、苦しみ抜き、死のうとまで考えた。郷里の母は、花世を支えて、生きていろと励ましつづけた
だが、このように女を苦しませる男に、良い運命が向くはずがない。
生田は突然、瀬戸内海に身投げする。
大きな衝撃で、芥川龍之介以来の大事件となった。
このことで、花世は悪妻ということになった。
その後も、ゴタゴタが続き、戦争で、世田谷の家は、焼かれて、丸裸になった。
それでも、文学の灯火は、花世の心から消えなかった。
バラックですぐに、文学塾を開き、それが大きく育っていく。
生田の姓を名乗り、「源氏物語」の塾を開いてみると生徒はたくさん集まってきて、皆が、花世の指導を
求めるようになったのだった。もともと彼女は教師であった。
気さくな性格、今畑から帰ってきたような服装の花世は虚栄を捨て威張ることもなかっただろう。苦労したことが身を結び、信頼されていった。
文学を通して、市井の婦人の生活を支え続けたのだった。
女性で、ここまで頑張れる人が、いるのだろうかと思うほどの火の玉のようなファイトで、駆け抜けた彼女。
納骨には、阿波国(徳島)の、砂が一握り添えられたのであった。