1896(明治29年)ー1971年没(昭和46年) に生きた尾崎翠(ミドリ)は、若き日に、東京で暮らし、文学を志した。
だがその後、郷里の鳥取に帰り、家族の面倒を見る人生を過ごした。東京では、林芙美子、宇野千代らと知り合うも、一人別れて文学から去って行った。一方、林らは、ドンドン有名になっていった。
翠自身が、病気でもあり、神経も病んでいた。
長い間忘れられていた翠の文学に光があてられ、蘇ることとなる。その頃は、既に70才の頃で、人生の終りが、そこまで来ていたのだった。
本人も、驚いたことに、全集も何度か組まれて出版されるまでになった。
読者はその神秘的な世界にきっと虜になって行く事だろう。
代表作、「第七官界」「こおろぎ娘」にしてもあり得へん設定になっている。
幻想、幻想、霧の中、幻想が幻想を呼ぶお話なのだ。言ってみれば、能の深い幻想的世界にも似ている。
水田は、翠の郷里である鳥取市を訪れて、鳥取の街の様子を確実に表現して記している。
彼女のいう通りの街並みである。何もない街ではあるが、あちこちの路地から、何故かしら文学的な風が吹いて来るのだ。
無味なものの美味しさというのか。それゆえに異端なものが明白に見えてくることもある。だからと言って、この町は動じない。
それを受け入れてなお、立ち上がる、そんな町なのであろう。
そういう気風が、異端的な翠の文学を、心ゆく迄創造することを許した背景にあるとおもう。
長女として家族の犠牲になったような人生。戦争後も、多くの兄妹と、その子供のせわにも明け暮れる。一体どんな気持ちでいたのだろうか。
「尾崎翠を探して」という映画があるそうである。見たことはないのだが。
また「こおろぎ娘」に扮した吉行和子出演の映画の話も聞いただけである。吉行淳之介の妹として、文学繋がりでもあったのか。決してメジャーにはなれない定めのような彼女の作品。だが、そこに無視できない貴重なものがあるような気がしてならない。
水田の文章は、スッキリと読みやすく、なかなかすばらしい。発掘された作品群をゆっくり読むまえに、みずたの解説を読んでおくと、
良いかなと思った。