スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

全体主義の起源2 ハンナ・アーレント

南アフリカで金鉱が見つかりヨーロッパから金鉱堀の人々がやってきた。

アフリカでは労働人口は有り余るほどあり、アフリアの人々はこぞって金鉱堀の仕事にありつこうと南アフリカへやってきた。イギリス帝国では、セシルローズの時代になり、アフリカにいちはやく早く目をつけ、金鉱堀に参画した。

ヨーロッパの宿無しモッズたちも、アフリカに押し寄せた。

ヨーロッパでは、今や、膨張主義で帝国を大きくしようとしていた。海を渡ってインドにも手を伸ばした。

スエズ運河もできて、イギリスが運河を買ったのだった。今をときめく時代の寵児となった。

セシルローズは有頂天であった。自分のものになった植民地をローデシアと名付けたりまでした。

 

イギリスなどと比べて、ドイツは出遅れてしまったため、それを補うべく、汎民俗主義を唱えるようになる。ゆくゆくはそれが全体主義への始まりとなってゆくのだが。

民衆がアイデンティティーとして所属していた党や、階級から脱落し、国民は皆平等な階級とみなされ始める。全体主義は、まず階級を取り払った。今まで威張っていたものも、モッズのようなオケラも、平等の地位となった。

イギリスは海の王者と自認し、負けじとドイツは陸の王者ならんとするのだった。

 

だが、インドが、イギリスから独立したことによって帝国主義は脆くも崩れて行くのだった。

 

この全体主義の起源を読み込むのには骨が折れて、なかなか難しい。

政治のことがさっぱり分からず初めから勉強しなおしである。