スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

マイケルジャクソン  this is it 2009年   10月

2009年から始まるロンドン公演は、マイケルにとっても12年ぶりとなる舞台だった。

児童に関する裁判やら、実に多くの問題が起こっていたのである。

 

チケットは瞬く間に売れて完売したのだが、この映画は、公演のリハーサルを撮影したものだった。本番と2度美味しいおもいをねがったものだった。

 

まだこの後あっという間にマイケルが死んでしまうなんてだれも、誰も知らなかったのだ。

いや、近しい仕事仲間なら、うすうすわかっていた可能性もある。彼は、危険な状態にあると。

 

朝起きたら死亡のニュースがテレビに流れていた。これには、ビックリして、信じられないという気持ちが先に動いた。目をこすってみたが、やはり同じニュースが流れていた。

2009年6月25日初夏の朝であった。7月13日にはロンドンをはじめとしてワールドツアーが始まろうとしていた。

だが、マイケル本人は、不眠や、不調で、耐えきれずに薬の取りすぎとなった。6月下旬、薔薇の花も終わった頃、彼はあの世へと行った。

 

ロンドン公演に携わっていた人々はどんなにか当惑、驚愕、いや混乱を極めた事だろう!

 

指揮をするプロデゥーサー、ミュージックの担当の人々、ずっと一緒に練習して来たダンサーの人々など、実にたくさんの関係者がいたわけだが。

 

ダンサーの中で、マイケルは、やはり一番軽々と涼しい顔できめていたし、歌も踊りも、同じぐらいうまいのだった。

 

美しいメロディーのバラードよりも、ハードなリズムのロックの方が、みんな好みだろう。

中でも「スムーズクリミナル」は、歌もダンスも圧巻である。単純な歌詞がずっと続く歌だけど、

こういうブラックミュージックのトントンと言ったリズムはとても心地よい。

 

最後の歌は、「ブラックorホワイト」だったと思う。でもよくこんな曲作れたよな。

 

改めて、彼の凄さが迫ってくる。  このブログは2回目となる。2019年2月22日にも書いている。