2009年から始まるロンドン公演は、マイケルにとっても12年ぶりとなる舞台だった。
児童に関する裁判やら、実に多くの問題が起こっていたのである。
チケットは瞬く間に売れて完売したのだが、この映画は、公演のリハーサルを撮影したものだった。本番と2度美味しいおもいをねがったものだった。
まだこの後あっという間にマイケルが死んでしまうなんてだれも、誰も知らなかったのだ。
いや、近しい仕事仲間なら、うすうすわかっていた可能性もある。彼は、危険な状態にあると。
朝起きたら死亡のニュースがテレビに流れていた。これには、ビックリして、信じられないという気持ちが先に動いた。目をこすってみたが、やはり同じニュースが流れていた。
2009年6月25日初夏の朝であった。7月13日にはロンドンをはじめとしてワールドツアーが始まろうとしていた。
だが、マイケル本人は、不眠や、不調で、耐えきれずに薬の取りすぎとなった。6月下旬、薔薇の花も終わった頃、彼はあの世へと行った。
ロンドン公演に携わっていた人々はどんなにか当惑、驚愕、いや混乱を極めた事だろう!
指揮をするプロデゥーサー、ミュージックの担当の人々、ずっと一緒に練習して来たダンサーの人々など、実にたくさんの関係者がいたわけだが。
ダンサーの中で、マイケルは、やはり一番軽々と涼しい顔できめていたし、歌も踊りも、同じぐらいうまいのだった。
美しいメロディーのバラードよりも、ハードなリズムのロックの方が、みんな好みだろう。
中でも「スムーズクリミナル」は、歌もダンスも圧巻である。単純な歌詞がずっと続く歌だけど、
こういうブラックミュージックのトントンと言ったリズムはとても心地よい。
最後の歌は、「ブラックorホワイト」だったと思う。でもよくこんな曲作れたよな。
改めて、彼の凄さが迫ってくる。 このブログは2回目となる。2019年2月22日にも書いている。