なんでか、ヘッセを読むことに。いやあ、懐かしいが、ほとんど筋は忘れていたし、たいてい同じ様なお話なので、ヘッセには悪いがだいたい宗教じみた、キチガイの話が多いのだ。きちがいといったのは、尊敬の意味でだよ。そのじんぶつを述べる事は少し難しい。例えばキリストや御釈迦様の実態を述べれない様なものだろう。そんな難しい事に挑戦し続けたヘッセであった。
このダニエル神父は人を世俗を嫌ってひとり砂漠に住んでいた。用事がある時だけ、街に出かけた。
みながダニエルの徳の高いことを尊敬していたんだ。
ある日、街に出かけると、裕福な商人がどうしても家にきて欲しいと懇願するのだった。
ダニエルは、人と接する事を極力省こうとしているのに、家にまで入って妻にあって欲しいというではないか。
渋々入ると美しい妻がいて、しかし何故か子供ができないという事であった。
祈って欲しいというので、必ず祈るからと言い納めて帰ろうとしたが、商人はあくまでも食い下がり、妻の頭に手を当てて欲しいなどと勝手な事を言うのだった。
それは、美しい髪の毛だった。うっかりと、われを忘れるダニエル神父。神父の髪はいつもゴワゴワで砂だらけであったし、この様な触り心地は初めての経験であった。
家を出ても、彼女の事が忘れられなくなっていた。それで、街に近寄らぬ様にとても用心してくらした。気の毒ななダニエルであった。
時を置いてある日また街に行ったのだが、なんと、あの夫婦に子供ができたと言う話だった。
お祝いを述べようと商人の住む家に行ったのだがダニエルをみなが憎しみを持って睨みつけた。
この子は不倫妻とダニエルの子だろうと言う事であった。
驚いたダニエル神父は、みなを見渡してから、生後間もない赤ん坊に向かって聞いた。
「この子の父親は誰だ。私か、それともこの商人のほうか?」
すると、乳飲み子は、商人を指して、「この人が私の父親だ」とはっきりと言ったのだった。
乳飲み子が語った!この奇跡は町中に報じられた。
赤ん坊が喋ると言うのは、あり得る話だ。とスッポコは合点した。
まったくこの世には不思議な話があるものだ。
ヘルマン・ヘッセ全集〈11〉子どもの心、クラインとワーグナー、クリングゾルの最後の夏、伝説・寓話・たとえ話
- 作者: 日本ヘルマンヘッセ友の会研究会
- 出版社/メーカー: 臨川書店
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