スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

牛のいる風景  2023

生まれた頃にはどこの家にも牛がいた。農耕のための家畜であったのだが、大きくて真っ黒い牛は、他の害獣さえも寄り付けなくし、きっと大きな役割を果たしていたのだろう。ところがわたしはこの牛が大の苦手で、子どの頃は朝から夕方までこの牛たちに悩まされていた。

追いかけられたり、フンを踏んづけてしまったりがあったので、ほぼ恐怖の日々であった。

小さな池があって、そのほとりに牛が飼ってあった。そいつはほぼ大人しく、まぐさを食んで夕暮れを待っていた。夜になって暗くなって、コウモリでも出そうな池のほとり。ここは部活帰りに帰る道であった。だがわたしは部活に入っておらず、いつもただぶらぶらしているだけだったのだ。しかもその道筋は通学路でもなかったー何故いつもここの場所が牛のいる場所が夢に出てくるのだろう。

夜にはカンテラと言うか、小さな慎ましい牛舎には電灯が付くのだった。それを目当てに、私は夜道さえ走ってゆく。なぜだろう、そんなことしたことないのに。あるいは蛍狩りにでも数度は行ったのかもしれない。牛はとても大人しくモウとも鳴かず、また私たち子供を見る事もなかった。チラリとも見なかった。なんと言う大人しい良い牛だろう。

ある日何かの集会があるとかで、そこに行くことになった。ー何故小さな牛の牛舎で集会とか会議があるのだろう。電灯ひとつの中でもとても明るかったあの夜。そこで、誰かの嘘を暴くとかで、わたしはとても躊躇し、また興奮していたー興味津々で勇んで行ったのだった。行ってみると、実は目的は本当はなんでも良くて、ただここに集合することに大きな意味があったようだ。

不思議な夢だったが あの夜の牛舎はこの私にとって何か重要な意味があるようなおかしな気がして

50年も前のことなのに、まだ胸に残っているのだ。