両親と妹を失った大学生のダニーは、同じゼミの仲間らとフィンランドに行く事になる。
最初から普通でない出だしであるし、なにか難しい映画といった印象があった。
こいつは、「社会的問題作」である。
わからない人には分からないという映画ですから、置いてきぼりを食っても責任は持てません。
監督はこの微妙な問題に取り組んだのには、なにかきっと訳があったのでしょう。監督に危険がふりかかりませんように。
人が人を監視し合う社会がそこにはある。
折しもそこでは90年に一度の夏至祭があるという。
そこに仲間を誘ったのは、子供の時からある団体で育った大学生のペレであった。今の僕があるのは彼等のおかげだと言って
彼はダニーら数人を誘ってフィンランドへ連れてゆく。
ダニーは大抵情緒不安定で、自分に自信が失くなっている。家族が死んだ後、どうしても立ち直れない苦しみを抱えて生きてきた。
白夜の村では不思議な体験ばかりが続き、参加を促されて、皆に歓迎されて、同調され、受け入れられた。知らぬ間に洗脳されてゆく彼女。
一緒にきた仲間は、次々と殺されて犠牲になっていたのだが。
ダニーはある日、花の女王に選ばれて、大きな権限を与えられたのだった。ボーイフレンドのクリスチャンを次の生贄に選んだダニー。あいつとはおさらばよ。別の女といちゃついちゃつきやがって、死を与えるのは当然だ。
ダニーの服装は何故だか誰よりもダサいし、何よりスレた感じもない、普通の女子学生であった。むしろ演出されているのはおどおどしていて汚れを知らぬ顔であった。ただ苦痛を心に閉じ込めていたが。
その彼女の表情がいろいろ変化してゆき、人間の弱さが溢れでてくるのがリアルであり凄い演技をしている。
古い慣習で、老人を殺したりしているいろいろやばい集団だが。
だが、本当の趣旨はそこではないだろう。人が人を監視したり、威圧をかけて社会から屠ったりという問題である。被害にあった人はもう社会的に殺されたも同然というような…。
これだけ教育や、文化が進んだ日本において、このようなカビの生えた独裁的政治が行われているというのは、一体どうなってるのか
統制をかけて皆がそれに従うというのであれば、これほど独裁者にとって有難いことはないだろう。
ウワオー!
よくぞ作ってくださった。(感謝)。醜い洗脳の映画を。
彼らは、弱く、貧しく、後ろ盾がなく、ゆえに集団に属する事で人生の安定を図っている。彼等は我知らずに、その集団にいつの間にか取り込まれて行ってしまうのだ。ダニーのように家庭的悲劇、喪失、リッチネスへの渇望などいろいろな不運を背負って生きる者には。