どんな小さな庭にも大きな庭にも、そこに住み、折りに触れてそぞろ歩き、服の裾が、草や、ツツジの葉さきに擦れて見なければ、良いも悪いも分からないではないか。
ただ突然やってきて、泊り、お膳を食べるなんて、庭がかわいそうっていうか、本末転倒である。
ただ、技巧を凝らした庭があって、人の目を惹きつける造りになっているなら其れはそれで完璧であろう。
子供の頃遊びに行った家の軒下に、ネギがはせてあり、その横におよそ30センチの小さな岩の窪みがあり、雨水が溜まっている。小さな鶴か亀の模型が置いてあった。苔が生えていてちょうど都合も良い。そのいえのだれかが、気まぐれで作ったのかもしれない。
そのすぐそばに、背が高くうねるようなオレンジのツツジが一本あり、春になると、世界中のお祭りがそこに集まっているように見えた。あれは本当は、霧島ではない。だが、あのような綺麗なツツジをついぞ見た事もない。つましい日々の暮らしに付き添うように咲く花とか
緑の草木。大小の差こそあれ、そこに住む人間たちは、工夫を重ねて、庭を世話するものだ。
大きな庭になると、もう別物であるが。
土は幾度も幾度も踏みしめられ、硬く盛り上がっている。何度踏みしめられたのかなんて、無数であるから記憶はないだろうが。
見覚えのある小道は続く。