ドキュメントタッチで描かれる、あるバレーダンサーの生い立ちの記、といったものだ。
幼い時から,運動能力が高かったのをみて、母親は、この子にバレーを習わせてみた。めきめきと上達する我が子は、家の支えとなるべき子であった。貧しい家も、一流のダンサーがいれば、裕福になるだろう。そういう両親の元で、彼はとても厳しくバレーを習わせられ、自由がなくなってゆく。
バレー学校の最優等生の彼は
地方では、一番上手いダンサーとして認められていた。
イギリスのロイヤルバレー学校に引き抜かれて、イギリスに留学した。
このことが大きくかれをを変えることになる。
世界各国から集まった精鋭の中でも抜きん出ているセルゲイであった。瞬く間に飛び級して、年上の生徒たちと、競い合い、とうとう最年少のプリンシパルとして立った。19歳であった。
毎日の厳しい練習と、努力、人にも増して努力を惜しまぬ結果でもあった。
生まれつきの運動能力、感の良さが大いに味方してくれた。
両親は普通の人、父親は出稼ぎ労働者であった。
セルゲイが、単身イギリスに留学したことで、母親は、実はひどく取り乱し、生活もままならぬほど落ち込んでいた。
そして、両親は関係をこじらせて、ついに離婚。
この事が、セルゲイに知れると、セルゲイは急激にやる気をなくして何もかも投げ出そうとした。
投げやりで、やけくその人生は彼を変えていった。
クスリ、鬱などの不安定な要素が、かれに牙を剥いて襲いかかった。
いままでの、自分の人生を振り返ってみると、バレー漬の人生であった。明けても暮れてもバレーであった。
だがそれにも、彼は、悩み抜いて、終止符を打つ決心をした。
彼は新しい天地を求めて、アメリカに渡っていた。
彼が望んだのは、家族の団結であった。自分が頑張るのも、家族を支えるためであった。
家族を幸せにしたいという目標が失われた今、何もかもが、消え去ったように感じる彼であった。
友人の助けによって、徐々に心を開き、最後のダンスを踊る彼。
「Take me to church」という曲に合わせて踊る彼の姿。
その後、「ホワイトクロウ」という映画で、主役を務める。ヌレエフのバレー人生のストリーであった。
彼には彼の新しい人生が芽生えていた。
まず、それが良かった、と思えた。
美しい踊りの裏には、普通の人が知り得ない厳しい生き様が存在している。
もっと高みをと、ひたすら求める彼ら。だが、そうなると、必ずや大きな壁にぶつかるのではないだろうか。
そんな時、西欧人は、禅を求めたり、わびさびを求めたり、または日本舞踊をもとめてみたくなるのではないだろうか。