どちらかよいうと、高田の著書の中では、少し軽い感じのものであった。
海外から帰った後、自信をなくし、深いうつの状態に陥る。
医者である彼のこと、薬を試したり、精神科にすがったりと、やってみたものの、一向に回復せずにいた。
そんな時、般若心経のお経を唱えることを取り入れた治療法を自らやることになる。
精神的には、最悪の状態であっただろう。
うつ病とは、愛がなくなる病気であるといっている。愛することも、また逆に愛も受けいれることもできなくなり、カラカラの棒切れのように、心ががやせおとろえてゆくのだろう。
周囲や家族は、愛情や慈しみで、病人を保護し、優しく扱っているつもりでも、本人にはそれが通じないのである、愛の受容体を失っているからである。
うむ、これは、手も足も出ませんね。
周囲が困り果てるのも、わかります。無理矢理に薬を飲ませても、効果はそれほど期待できず、泥沼に入ってしまうのです。治療は当初から困難を擁し、難しいものだと彼は言っています。薬さえ飲めば治るというような簡単なものではないのですから。
これらのことを踏まえて、高田は、経を唱え、写経していった。
そうするうちに、なぜか、治癒していったのだそうだ。
フームそうなのであろうか。実際、彼は、現在も経を唱え感謝の日々を過ごしているそうだ。
わてが心に残ったのは、中国の諸氏百家の一人 墨子の言葉である。荀子の言葉もある。
高田はこれらを載せてくれていた。
キリ(錐)は一番鋭いものから折れたりしてダメになる。
刀は、一番よく切れるものから、歯がこぼれダメになる。
木は一番まっすぐに高く伸びたものから切られて行く。
このように、才能に優れたものは、それ故に命を落としたり、失脚したりしやすいものだと、
言っている。才子 才におぼれるということだろう。
一番になろうとかは危ない考えでもあるのだ。
そういったときこそ、じっと、待つのみだ。弟子らが急ごうとする中、
そうやって孔子は旅の途中の難儀な時を耐えて過ごし、無事に抜けだすことが出来たそうだ。