これは、ある意味、新しくショックな作品である…。二階堂ふみ、半端ない。
染谷の両親も、景子(二階堂ふみ)の両親も、それは悪い奴等であり、彼等のせいで、染谷は、中学生ありながら、
父親を殺してしまう。死んでも良いようなくそ親父であった。
また景子の両親もなぜか娘の景子を殺そうと図っていて彼女に家での居場所はなかった。
大人の親たちは、狂っていた。
それでも2人はけなげに生きていた。染谷のほうは家の住田ボートハウスを彼一人で経営して何とか日銭を稼いでいた。しかしいつも借金取りがやってきて、息子の染谷を殴っていた。母親は、蒸発してしまう。
ボートハウスには東北大震災で家族や家を失ってしまった人々が何人か来ていた。そして彼らはボートハウスの敷地に住み着き、染谷のことを家族のように可愛がっていて「住田さん住田さん」と言って大人扱いをしてくれるのであった。
染谷は役どころは住田と言う名前であった。
少年はもう、学校には行っていなかった。そのことを心配した景子はボートハウスまで行って彼の世話をするようになる。行き場のない彼女にとってこのボートハウスが彼女の家になっていた。
少年は、ある日のことあまりにもしつこく死ねと悪態をつく父親を辛抱できずに殺してしまう。
その日から全てが変わってしまった少年。景子はそのことに気がついて父親を殺してしまったのではないかとズバリと聞くのだが、少年は嘘をついてしまう。景子は安心して涙を流す。
景子という少女は、しっかり者で、周りの中学生とはだいぶんかけ離れていた。大人びていて、文学に傾倒していた。いつも、フランス詩人のヴィヨンの詩集を愛読していた。
彼女の両親はなぜか彼女を嫌い本当に殺そうと準備を始めるのだった。だが彼女は自分は自分と割り切ってとても強く生きていた。これが、また本当に、可哀想である。そして、どこにでもありそうなことだと思えて、怖いのである。
不幸であるのは、この少女も同じであった。ただ、彼には、家のことを話しておらず、少年は、景子の事情は何も聞いてはいないのだった。不幸な少女、でも、こんな少女は、どこにでも、ごまんといるということなのだ。人は知らなくても、いろいろな悲しいことがあるものだ。
このストーリーはどこかしらドストエフスキーの罪ト罰のラスコーリニコフとソーニャを思い出す。
殺人と言う罪を担ったラスコーリニコフはソーニャによって救われる。そういう話と重なるのである。
父親を殺した住田は、景子によって、励まされ、自首することを決めるのだった。
夢のような話を、景子は、話し出す。出所を待って、住田と結婚するという。ーだが、住田は、ヤクザに貰った拳銃で、死のうとするのだった。
この期に及んで、
景子の純粋な愛を裏切ろうとした住田少年。こんな悲惨な経験をして、誰でもこうなるだろうと、観客は思う。がっくりとする景子、ガックリどころか、動けない。
だが、死に切れなかった少年は、景子の元にやってきて、警察へとむかって走りだす。それは朝早くの時間のことであった。
彼は景子の愛によって、甦ったということか…。それにしても、この世のいろいろな苦悩する人々、世相、マジで気の毒なことであると同時に、景子のような、その健気さこそは、忘れてはいけないであろう!
染谷将太は、今や、大河の織田信長役であるし、二階堂ふみは、朝ドラ エールの妻の音さん役として
出演している。