スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

フジコヘミング  ピアノ

リストのラ カンパネラや、ショパンの名曲をよく弾いているピアニストフジコヘミング。

何か曰く付きなこの90歳になる老婆は日本とノルウェーのハーフであり、戦前に外国に渡ったがために、日本国籍を何十年も取れずにいた。長きに渡り外国に暮らし、やっと本国へ帰って来たのだが、

外国生活が長かったせいか、服装や生活様式が日本人と違う。行っては悪いがボロを纏い、そのくせえらくピアノがうまい変な老女である。体を締め付けないこのふわふわのヒラメのような服は彼女の身体にとっては理にかなったものだ。日本芸大を出てからは,クロイツアー先生や、バーンスタイン先生などに教えを受けてきた。彼らはフジコの良さを理解してくれた恩人でもある。演奏会も彼らも尽力で開くことができた。ピアニストとしての足がかりを開くことができた。広いヨーロッパで彼女は一人で奮戦して来た。それは凄まじいものだったと想像できる。

彼女の母もピアニストで、ピアノ教室を開いていた。5歳から母にピアノを習い、毎日こっぴどく怒られて育ったと言うーお前は馬鹿か、やっぱり馬鹿だ、と言われ続け、大きくなったーそんな事も今では感謝しているといっている。ドイツ留学では1人でピアノの家庭教師などで食いつなぐ日々があったそうだ。貧しいときはじゃがいもだけで過ごすこともあった。そのうち徐々にに認められてゆき、ヨーロッパでも演奏会をひらくようになったらしい。とにかく遅咲きのピアニストなのだ。とにかくどんな時も彼女はピアノに齧り付くしか能がなかったのでそうしたのだった。彼女は本場ヨーロッパで自然に芸術とは何かと言うことを呼吸するように会得したのだと思う。女の直感で、ピアノを続けようと決めて進んだようにも見える。

彼女の弾くショパンは、他の誰とも違うように聞こえる。透明感と、女性らしい繊細さと、おごらない冷静さは洗練された感じがある。

ショパンが、晩年ジョルジュサンドと暮らしたマヨルカ島にどうしても行きたいのだと言って、マヨルカ島で演奏会を開いたというのは本当だろうか。あの歳でショパンの生きた現場に足を運ぼうという芸術志向の強さは、やはり本物だったんだなと思わせる出来事である。