遅咲きの60歳過ぎてからブレイクしたフジコである。
母親は、大きな工場の娘でピアノに夢中で、熱心で、東京芸大に入学後、ドイツに音楽留学。
立派なピアニストの師匠について学んだ。その師匠が、日本に亡命して、フジコを教えている。
母はドイツにいる間に、スウェーデンの美術学生と結婚してフジコとその弟を産んでいる。
フジコも、芸大に入り、同じくドイツに向かう。その後、ドイツで数十年がんばったが、まったく芽が出ず、ピアノの家庭教師をして食いつないでいた。
「日本に帰ったら負けや!今こんな状態で帰られへん!」いつの間にか、30年。
負けず嫌いのフジコにやっと、声が掛かった。有名な大御所の指揮者が、彼女のリサイタルを開いてくれるという。だが、前日に、高熱で耳が聞こえなくなって、、全てがキャンセルされたのだった。
最悪の結果に、日本にいる母も悲しみ嘆き、不運を呪った。
子供のころから天才的であったフジコ、このフジコに、母がかけていた夢は潰えたのだった。
フジコが日本に帰って、時折開くピアノコンサートは、いつもささやかであった。
だが、評判を聞きつけたテレビのNHK が、家まで取材に来た日から、全てが変わった。ネコと一緒に暮らすひとり暮らしのドキュメンタリーだったが、スッポコはコレも見ている。
前の日に、教会でピアノを弾いていると、「遅くなっても待っておれ、それは必ず来る。」
という文字が、目に入ったのだった。
聖者の予言は本当になった。
だがフジコのことを信じ思いつづけた母は、既に他界していた。母は、ピアノ教師をして、フジコを支えつづえていたのだが、弟子が、「私もフジコさんのようになれるでしょうか?」と聞くと、「いや、無理。なれない。あの子は特別だから!」と、答えていたらしい。
またこの母の演奏を、娘のフジコは、聞いたことがないという。「下手で、恥ずかしいから」と言ってピアノはむすめの前ではけっして弾かなかったという。やっぱすごいお母さんだなあ!
ラ•カンパネルラだけが得意の楽曲ではなさそうだ。彼女の繊細な、水彩画のような透明感のある音は
コンサートで聴くのが美しく臨場感溢れたものであろうと想像する。
ただ、良し悪しの意見が、パックリと別れることも確かである。
なんか、よくわからんね!
オン歳87才であるとというから二重の驚きである。