スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

無常ということ & モーツアルト  小林秀雄 著

この人は、愛する我が中也を苦しめた敵であるから、読む前から構えていたが、中也の言う通りおかしげな論を書く人でもあった。ただ、つい「モーツアルト」で、滑ってはめられた感が強い。

しかも、「ゲーテ」まで出て来たというのであるから、抵抗することが難しい立場になってしまった。

ただ、小林の文章は、教養人のそれであり、とても知能では勝つことは出来ないとおもっていたが、

私としては、平べったい田舎者の文章の方が、慣れていて簡潔で、優れている様にも感じられるのだ。

 ただ、小林からは、多くの知識が得られたと思う。収穫は多かった。それは彼に感謝しなくては。

 

というのも、ついつい、小林式の理路整然とした批評文であれば、もちろん分かりやすくもあり、

洗練されてあ知的なのだろうが、一方で、共通一辺倒のくだらない文章に下落してしまう恐れもあった。だが、自分は、彼の審美眼を信じてついて行くしかない知識の少ないトウシロウの身分

 

ファウスト下巻に臨んでいたゲーテにとって、モーツアルトやベートーベンの影響を自分から求めた風なところがある。

ジュピター、ドン・ジョバンニ、ハフナー、リンツ、セレナーデかメヌエットか、どれもかしこも人々の予想を超えて、突然に現れた稲光りの様な曲ばかりである。鋭いナイフで、心を切り裂く快い光の様なものだ。 モーツアルトについての伝記はどれもコレも乱雑でむずかしいものだ。

多くの人が、モーツァルトの真似をしようとしたが、誰もが失敗したのだ と小林は書いている。

 

モーツアルト自身が常に多動的な人間でじっとしておれない人であったらしいのだが、コレは矢張り天才人のある意味の隠れ蓑であったのかも知れない。その中に人知れず神とのみ対話していた苦悩、孤独などが詰め込まれているのか。

また、ベートーヴェンに対しては一切無視をして通して見せた。仰々しく、騒々しい音のまとまりに、

苛立ったのだろうか。まだ、途中までしか読んでいない。コレからどうなるのか、知りたい。

ロマンロランは、湯治場で奇しくもゲーテとベーとヴェンが見合い、散歩したと記している。

王室の人々も来ていたので、ゲーテが恭しくお辞儀をすると、ベートーヴェンは怒って行ってしまったとある。ロマンロランってすごい名前の人は、こういう著名人について書いたジャーなリズムの先頭を切った人かも。ミケランゲジェロの生涯やら、誰それの生涯といったものを表した。

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「無常」とは、西行法師や、能、骨董などを通して観たコンセプトだとおもうが、長々しいため、途中でやめといた。特に、雪舟の掛軸やら、鉄斎の絵画やには、どうしても慣れ親しめない。

雪舟は中国に渡って絵の勉強してきたらしいが、余裕のない筆運び、力強すぎる怖い絵として感じるものだ。小さな子供が、この絵スゴイ、ダイスキ、と言ってくれるだろうか。彼らは初心に帰るべきだ

 

里芋のようなぼーっとした山々が並び、そこにか細い道がクネクネとついている。そこを通るのは

ロバのような生き物に荷物を積んで引く男、トボトボと、トボトボと。下には決まって川が流れ行き、

土地のある場所には、とても小さな家が見える。柱は細り、大風でも吹けば飛んでいきそうな小屋に、よく見ると人が居るようだ。

コレはただの水墨画で、名もないものだが、見る人が見れば(それはこのわたしのことだが)こういう色の無い水墨画は、かなりいい感じだよ。

鉄斎にしてもなぜ色を入れたのか。まあまあ、それはいいとして。

 

徒然草についてはベタ褒めの小林。知識人同士としての敬意を表し、法師と同じく「物狂おしい」ほどの教養にあふれる自分とダブらせている。

小林はともかく、法師様の文章の的確さは、落ち着きがあり、美しいとさえおもえる。

法師は、つまりは哲学者でもない。宮中に仕えた識者とでも言う立場であるらしい。