千手院の和尚は、毎日 夜がふけるまで、尊勝陀羅尼の御経を読むのが常であった。
それが長年続いている。お経を聴く他の僧たちにもその声が心に沁みるのだった。
そうしているある夜のこと、経を唱えていると、空から声が聞こえて来た。
だがとても小さな蚊の鳴くような声、元気のない声であった。
それでも、戸を開けてみると、仙人が雲に乗ってこちらを見ていた。
私は陽勝仙人というものです。空を飛んでいたらこちらでお経の声がしたのできたのです、という。
お入りなさい、と招くと、すーっとやって来て和尚の前に座った。
よもやま話の後、香炉の煙に乗ってまた去って行ってしまった。
ああ、あれは昔わしが使っていた僧であった。
其奴は昔、修業の途中で、どこかへ行ってしまい、もう帰ってこなかったのだ。
長いこと不審に思っていたが
今来たのが、あの僧であった。
あいつが、今日帰って来てくれたのじゃ。
そう行って、思い出すたびに、泣いておられたということじゃった。
高僧の涙はなんだか美しい。ところで仙人とは死んだ人なのか?
かすみを食って、松の露を飲むとか、いわれている。
なぜ仙人になった弟子のことで涙が溢れるのか?
死んでしまっっということなのだろうか。