スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

市民ケーン 1941年 オーソンウェルズ主演 監督智

オーソンウェルズのはじめての映画である。いやーこれは恐ろしい映画ですぞ。

始まりは、ザナドゥーと呼ばれる、ものすごいお金を使って作られた楽園の映像から始まる。

ここで、観客の心を鷲掴みにしているのがすごい。ウェルズの才能がとんでもないものだと気付く。

 

人間の腹のなかの怨念憎悪、執着などなどを、大鍋でグツグツ煮立てているような気がする映画だ。しかも、はっきりと明らかに表されておらず、背後で蠢くのが感じられるので、なおさら怖くて緊張する。ウェルズは、この様な心理戦をよく捉えて描いている。

人間の生きているこころというものをものすごくコンパクトに現してみせた。

我々にしても人間て本当はこうだよね、とうなずけるものばかりである。

じっとこちらを見つめているウェルズの目はとても怖い。

子供の頃に両親に捨てられた子供ウェルズは大金持ちになり新聞会社を作る。

母親はお金のために子供を捨てた。これがケーンの心にとても癒しがたい深い傷を残した。

ケーンは人の愛を得ることに必死になる。そのために人の心を大きく傷つけても構わないと思っていたようだ。

新聞社は大当たりして大金持ちになり、実業家としてメキメキと頭角をあらわす。もはやアメリカ全体を彼の手中に収められていた。。それほどの大成金であった。

ザナドゥーという超巨大な城を建造する。世界中からありとあらゆるものや動植物が集められた。

ノアの箱舟もびっくりという事だ。

ピラミッドからスペインのお城からなんでもあった。像もキリンも生きていた。

莫大な資金を操って彼にできない事は何もなかった。

そして1回目の結婚は大統領の姪っ子と結婚したがうまくいかず別れる。次に結婚したのは素人の歌手であった。その女にも舞台で歌を歌うことを強要しオペラ座を買い占めたりする。彼女は死ぬところまで追い詰められる。

とうとう女はザナドゥ宮殿を出て行ってしまう。

友人たちも彼のあまりの強引さに去って行く。

それから彼は人が変わったようになり弱って死んでしまう。

ただ「バラのつぼみ」  rose  budと言う言葉だけを残してあの世に行ってしまう。

ある新聞記者がこのキーワードのことを調べるために昔の友人など渡り歩いて生存中の件の話を聞いて回る。それでケーンの人生が現わになって行く。

しかし昔の妻も昔の友人たちも誰も「バラのつぼみ」のことを知らないのだった。「バラのつぼみ」とは何なのか、その謎解きが後半の山だ。

ケーンは、彼らによると自分本位で、人のことなど、どうでも良いと思うような悪い人間であったと

いう事だが同時に別の一面もあった。彼は金が欲しいのじゃない、愛を欲しがったという話も出てくる。お金で愛を買っていたのだと。

気の毒なケーン、傷だらけになりながら、愛を得ようと踏ん張るが、どうしても愛が得られなかったのだ。

人間の奥底の心理を覗き込むような恐ろしい流れにじわじわと観客も溺れそうになる。

気分が悪くなって、冷や汗が出てくる。自己中心のケーンは私たちの合わせ鏡なのだ。自分の姿を映像で見ているようで切ないのだ。資本主義の醜い自分、人を人とも思わない自己中心の自分などなど。

最後は、ケーンは死んでしまうが、彼の大切にしていたソリの板には「バラのつぼみ」と書かれてあった。故郷の雪の上で滑って遊んだソリであった。まだ子供だった彼は母と別れる時これを大都会に持って来たのだった。思い出の品であり、彼自身を証明する唯一の物だったに違いない。

死後に、このソリは不用品として、大きな炉の中にほおりこまれて燃やされる。

 

だが、本来は、このソリは彼の心の原点として人々に公開されて、彼の人間性の誤解を解く鍵になるはずのものであり、映画の中でもそうあるべきであったと思う。

ウェルズは、そうしなかったが、これは間違いだったと、思うのだ。

これではケーンは浮かばれない、化けて出るだろう。

 

この映画で初めて日本語吹き替えを勧めるものである。字幕はあまりにも読みづらく困りきったからだ。

 

 

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