「狂気という隣人」など、精神科医としてかなりの数の著作を持つ作家といっても良いくらいの人だ。
今回は、「発達障害」というハッキリとしたシンプルな題名の作品である。
確かに、今までの中で、一番良い出来といってもいいだろう。全て読んだわけではないが。
ここでは、数人のじっさいに大罪を犯した「殺人者」を取り上げて、その人間たちが、発達障害であったかを検証していく。
だいたいにおいて、法廷や検察にとって、立証しやすいように警察の精神科医たちは診断を下し、判を押す?らしい。
ハッショウかどうかの診察は、実はけっこう難しそうだ。マニュアルがあるのでそれに当てはまるか見れば良いのだが。
小学生から高校生、成人と、比較的若い世代の人間が、どのような動機で殺人などという大それた事をやってしまったのか、また、その人間たちの育った環境はどのようであったかなどについて、調べてざっとであるが書いている。
罪を犯すまでは、普通の学生で、部活もこなし、クラスでも友達がいて、浮くこともない。
そんな生徒がある日突然豹変して人を殺すために住宅地をうろつく。学生服の中には、鈍器が潜んでいる。彼はそれをじっと握りしめて歩いて、殺す人間を物色したのだった。
ゾッとするくだりであった。
ただ此の子には発達障害的なものは当てはまらず、従って別の病的精神で事を起こしたのである、と
筆者はいっている。
此の犯人の家は、実は古い旧家であり古くからの土地を持つ家であった。
これがどういう意味を持つかは、まあ、いろいろあるが、かなり目立つ家であり、住民の周知の家柄であり、従ってとても息苦しい環境であったと思われる。周囲からの目は些細なものでも、彼にとってはかなりの重荷となっていたとおもわれる。
それがどのように作用したのかは知らないが、酸性土壌には青い紫陽花が咲くようなものである。アルカリであれば、ピンクや赤の花となる。
そのように、下地が古くて厚ければ良い芽が育つのはとっても難しそう!
しかも母親は出ていっていなかったのだ。
友人らも家族の誰も彼の心に気づくものはいなかった。
明るい良い子だっっと祖父は述べている。それが、不思議な事である、とスッポコは思う。
次は生まれた環境が貧しくしかも職も長続きせず、薬を覚えて色々な店を点々とする男の話もあった、若い時から粗暴で横柄で態度が悪いので嫌われてしまうのだった。
ある寿司店の不採用の電話を受けて、唐突に人殺しをしていくのである。
なんか気の毒な気もする。
長崎の小学生の仲良しが、仲良しの友人をカッターで切り裂いた悪質な事件でも、犯人の子の家は、なぜか学友たちの住む住宅地から離れた場所にあり、とても辛い家庭環境で生活しており、敏感で気の優しい女子は常に、親から無視され父親からは殴られていた。バスケクラブに入ったり、チャットをしたりして寂しさを紛らしていたのだが、友人のふとした言葉で糸が切れた。絶望の地獄がパックリと口を開けたのだろうな。
彼女も特別に発達障害というところはなかったのだった。
だいたいにおいて、発達障害の人が進んで、重大な犯罪をするというということは非常に稀であるという見方であった。
それどころか、ハッショウの人は日常生活においていろいろと難しい障害物競争をしているようで大変なのである。
家庭でも、会社でも、彼らは期待されることが、何故だか全くできないか、失敗をしでかしてしまうのである。立派な大学を出ていても、バカバカと言われる身だ。知能は高いのだが、生活の面では、赤ちゃんと同じ、イデオットなのである。
それはとても悲しい人間道である。
確かに発達障害の中には、衝動性が含まれるのであるが、それでもなお、筆者は医者の立場から見て、犯罪という領域に侵入してくる発達障害の人はほとんど見られないという立場を取ろうとしている。