これらの人たちの人生は病に翻弄され、穏健な日常から、だんだん離れていくのである。
東大生やら、教授やら、医者やら、何人であとうと取り付いてむさぼり食う、哀れで、悲しい物語である。
合併症として、鬱や、依存症も、おまけについてくるという、厄介な病である。
それに遺伝のこともある。普通親自体が、ハッショウでもそれに気づいておらず子供がハッショウであった時、子供を責めているのは、おかしげな光景である。
だが全てを諦めるのは早過ぎる。星野先生は、適切なカウンセリングと、薬物治療が、功を奏すると言っている。
まず本人が、発達障害だと、カミングアウトしているのである。自分を受け入れてこそ、治療もでき、世界が開けるのである。
これは彼の勇気でもなんでもない、ただ素直な気持ちと生きる事への祈りのようなものが自然とそうさせたに違いない。
この障害は治るのである。と述べているが、この楽観的展望は経験のもとづいているので強いのである。
ただ、研究者としての位置は如何なものかは、門外漢にはわかるよしもない。
彼の経歴としては、児童精神科の専門であると記されている。
ただこの本によって、ほんの少しだけ、専門的な入り口が見えた、というだけである。
門外漢にとってはもうそれだけでも、ありがたいことであるというわけだ。
障害者にとっては、健常者は、夢のような楽しい生活が送れる別人種である。いつも元気で、賑やかで
仲間がいっぱい。眩しすぎて、見つめられない太陽のようなものだ。毎日が 誕生日のような彼ら。
しかし障害者の地下に潜ったような生活についてはもはや言うに及ばずでよいだろう。
説明しようとすれば、さかもと未明氏以上の混乱となるだけであろう。
社会生活では、シンプルで、わかり易く、動きやすいような工夫をして仕事が滞らないように工夫をしておくことだ。
家庭を持った人の混乱は、大きな問題を引き起こすことがある。離婚、虐待、ネグレクトなど。
大きな問題が起き易く、解決には冷静な理解者、及び医者が必要であろう。
家庭の大問題の立役者の中には、家族を苦しめる病が住んでいる。周りの人間達をを巻き込んで台風のようになっていくのは、この病が、ただならぬ病ではないことを、強く物語っている。
ただ、人間というものは、いろんな病気で、年齢に関係なく死んだりさえするんだから、人間に関しては、大きな視野で、捉えることが、最も大事なことではなかろうか。
悲しみもいつかは、晴れるであろう。何時とはわかりもしないまでも。
何か人間の知恵が試されている、とさえ思えるのである。
- 作者: 星野仁彦
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