スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

野生の少年 1969年 トリュフォー監督 フランス

監督初期の作品。制約にとらわれない監督で、自由に好きなように映画を作っていく。自由な散歩か、自由な山登りのように気持ちが良い。

 

1797年に南フランスでアベロンの野生児が、発見され、話題を呼んだ。言葉も何もしゃべらず、動物のような子供である。これをイタール博士が引き取り、研究の糧にした、と言うか人間として教育するのだった。野生児は、よく知られているように、なかなか人間に成れないのである。

映画では、当時のイタール博士をトリュフオー監督自身が演じ、少年を、世間の好奇の目から守り、慈しむ事で教育を実践して行くはなしだ。

特別目新しいものでもなかったが、水とか牛乳とかのとても簡単な単語を覚えさせようと、試行錯誤する。フランス語で、水は「オー」というのも英語ではウオーターだからか。牛乳は「レ」だ。カフェ・オ・レのレである。

ところが、こんな簡単な事でも意外とむずかしいいことがわかった。

いつまでも発声ができずにいたが、ついに、「レ」と声が出た。その声は、聞いたこともないような、

高音のか細い声であった。この辺は上手いなあと思った。確かに人間と暮らしたことのない少年の声だった。

靴を履かせようとするとしたり、ABCを教えようとすると嫌がって、けいれんをおこすのだった。

博士は少年にヴィクトルという名をつけた。

それから順次色々教育するが、博士の態度は一貫している。落ち着いていちいち動揺を見せない博士の態度は立派なものだ。

トリュフォーは背も低く小柄で、いかにも肉体労働は苦手そうだった。人には与えられた天分がある。彼は生きている間、がんばった、とおもうよ。50代という短い人生だったが。そんな事を考えながら見ていた。

博士が病気になって、少年のの面倒を見れない時期に少年は家出をした。皆がすごく心配した。

博士が自分を見てくれない事が、少年の心を不安定にしたのだろう。

森にかえってしまったのか、また野生に帰ってしまうのかと博士も家政婦もかなしんだ。

しかし彼は、自分の足で、博士の元に帰って来た。これは大きなことであった。

彼は人間だと自分で証明したのである。

 

映画では、彼は、子供の時、親に殺されて捨てられていた子だった。奇跡的に生きのびたのだった。

監督自身の悲しい過去も、親に見捨てられ、少年院にぶち込まれた経験があった。

なんの理由もなくただ厄介払いとしてだ。

トリュフオーはこの経験がよほど痛かったのか、彼は、子供の心の痛みに寄り添う人となった。

スッポコも、彼のことを考えると涙が出るんだよ。

だが、スッポコも親に捨てられたように長い事思っていたのだが、還暦も過ぎると、「もうどーでもええわ、」という感にいたる。トリュフォーがもっと長生きしていたら、成熟度が何倍にもなっていたものと思う。

 

 

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