広島で原爆に遭って父を亡くしたミツエという女(宮沢りえ) はある日から死んだ父親が見える様になり、さらに、彼は自由自在に喋ったり、動いたりするのだった。
しかし、それは父の幻であり、ミツエが自ら作り出した幻であった
あの日、玄関先を掃除していた「おとったん」は原爆の光を真正面から見てしまった。太陽が6000度で、原爆はその2倍の12000度であった。それをまともに見てしまい、まともに浴びたオトッタンであった。
ミツエは落ちた手紙を拾おうとかがんだ瞬間であった。ちょうど石灯籠の陰にいたせいで、助かった。あの死んだ友達の手紙がなかったら、自分は死んでいた。その友達はよくできた人間で、優秀であったのに、ミツエの方が生き残ってしまった。それが自分の罪であるかの様に感じるミツエであった。だから、「じぶんは決して幸せになってっはいかんのじゃ。」そう父(原田芳雄)に語りかけるのだった。
そうは言われても娘のことを案じるオトッタンであった。「オトッタン?」方言かなあ。宮沢はとても上手に呼ぶのだった。役とはいえすごい!
さて、娘のミツエには好きになりそうな男がいて、お役所仕事のお堅い仕事だし、相手もミツエに好意を持っている。申し分のない話だ。オトッタンはこの話を進めたい。そして娘を結婚させて幸せにしてやりたいと思っている。家はボロで、雨漏りも酷かったが、直してくれる大工もいない。
しかし幸せになってはいけないと決めているミツエは恋心を忘れようと必死になっているのだった。
オトッタンはそれがもどかしくてならず、いろいろ文句を言うのだった。そもそもミツエの心が生んだ幻が喋ることはミツエの心である。ミツエはそれに気づかぬふりをしているが、オトッタンは「お前は病気なんじゃ。死んだわしが見える病気なんじゃ!」と悲しそうに言うのだった。
この幽霊は風呂もたきつけるし、掃除もする。おかしなものだな。幽霊なのに。きっとミツエがしているのだろう。でもこれってかなりシュールな世界である。
最後ににオトッタンは言った。「お前に結婚を進めるのはな、わしの孫じゃ、ええか、孫が見たいんじゃ!」これにはミツエも二の句が告げれなかった。参ってしまった。ミツエは、オトッタンのしあわせのために
あの人と結婚しようと思いを改めて思い直すことにしたのだった。原爆病が出ても構わんと言ってくれたあの人と。
思い直し、包丁を握り直し、嬉しそうにトントンと野菜を切るミツエ。
ああ、しかしその場所は、
天井のない原爆ドームの中であった!だが、なぜ?!
ミツエは原爆で死んでいたのか。幸せになるのではなかったのか?
死んだ者が夢をみていたのか。この鉄骨で雨のもる天井のない家は何だ。あの焼け焦げた鉄の骨の天井は、
原爆ドームそのものなのであった!
恐ろしくも唐突に終わる。